山の家・工房・家庭菜園・果樹園作りの記録
67歳になった私も、青垣まで行ける間はいいにせよ、そろそろ足腰が弱ってパラグライダーも出来なくなることを見越して、できれば近くで土地を確保して、菜園や果樹園を楽しみたいと・・・さらに、ボケも進まず、癌にもならなかったら、あわよくばそこに、工房(木工、陶芸)を作り、さらにさらに欲をだして、友達を呼んできてお茶でも飲めるくつろぎの場所を作りたいとかねがね思っていた。
適当な土地があった。その土地は家から5キロに位置し、面積は720坪と広い。
永年放置状態の宅地で竹や木が生い茂っている。妻と2人でこの場所を桃源郷に変えようと言う遠大な計画を実行し始めた。老い先短く、完成を待たずにあの世行きになるかもわからない。とりあえずなんとか形が出来上がるまで今後10年はかかるだろう。大作業です。
形あるものがどんどん出来てくると将来の夢が膨らむ。
@毎日楽しく遊べること、A適当な運動の継続で健康保持に最適、B家庭菜園、果樹園の実利があること C 将来の具体的な夢を追求できること ・・・などなどいいことずくめだ〜
喜び勇んで竹林の伐採に挑戦しているが、なかなか進まない。
疲れ果てて切った竹の上に横になり、ため息を付いて空を見上げると、見えなかった空が次第に開けて、「私の空」が見えてきた。
自分の空が見えてきた・・・見えなかった空が・・・
疲れた体に、なんとも言えぬしあわせが充満した。(平成21年11月19日記)
2台目のユンボもとうとう廃車の運命(2016年5月29日)
第二薪置き場を作りました。
ゴルフ練習場を造った。アプローチで50ヤード、それ以上はネットを利用する。
少しは上達するかもしれないが、足腰が痛くなってくる年齢だ。プラスマイナスゼロか?
最初「隠れ家」と呼んでいたが、隠れ家でなく、山の家と言う感じなので何時とはなしに「山の家」と呼ぶようになりました。その山の家もこの秋で4年になります。最初夫婦の桃源郷にするには今後10年はかかるでしょう・・・
と言っていましたが、4年でほぼ出来上がりました。あと、運搬機などを入れる小屋を作りたいのですが、2000本からあった竹をまだ敷地内の南に放置したままなのでこの竹の始末が出来なければ小屋を作ることができません。
この4年間することがいっぱいあって楽しんで進めていましたが、することが、畑の草取りや果樹の手入れだけになってくると面白くありません。今年の冬 斜面に甘柿を20本ほど植える準備をすすめていますが、まだ先のことなので25年の夏から秋にかけてはキャンピングカーであちこち遊ぶことを考えています。
ツリーハウスを作る予定でしたが、これはちょっと無理です。大木はあるのですが、高所での作業がつらくなりました。陶芸サークルも25年夏で8人、毎週木曜日 みなさんが集まり楽しんで作陶に励んでおられます。
もう数人増えても駐車場スペースはあるので大丈夫です。
完成した陶芸サークル室の西側に和風庭を作り始めた。
竹塀で仕切りそれらしく植木を順次植えていきます。
パーゴラを作る
竹と大木がびっしり生えている。竹は多分 2000本はあるぞ〜これを全部切ってしまう。切って片づけるだけで4ヶ月以上かかる。最初妻や息子が手伝ってくれたが、すぐに腱鞘炎(バネ指)になり、その後は私一人で取りくむことになった。
作業量が多すぎて困る。
作 業 計 画
1 竹の伐採(平成21年11月16日 開始)
2 伐採後の始末 その後、継続して竹の始末を続ける。
3 工房の位置、建物の形の決定、果樹の植え付け設計、畑の位置決め
4 ユンボによる掘削で、まず畑を作る
5 畑が軌道に乗ったところで、工房作りを始める。
6 工房の中に陶芸釜を作る。
7 茶室を作る。
竹を切るだけならそんなに手間ではないが、枝を払って竹をまとめて積み、払った枝を束ねて一箇所にかためる作業は単調な仕事です。
それでも楽しんでやっています。
竹を一定の方向へ倒すつもりで切っているが、あちこちバラバラの方角へ倒れてそれを1本ずつ片付けるのは大変です。
どんどん開けてきた。孫の応援
大木を切るのは神経を使う。こんな大木を10本ほど切った。妻は気に食わないらしく「おいといて欲しかったのに・・・と何度も言っていた。」
右に古い家があり、その位置に同じ広さで平屋建ての小さな家を作ります。
(4月2日)
ミニユンボながらも力が強い。エンジンの調子も良く作業能率があがる。乗っているのは妻
ジーゼルエンジンで2000CC キャタビラが2回はずれるが自分で修理できるようになった。キャタをしっかり張って、油を注入したら外れなくなった。
生えているのは真竹で最後に2〜300本残すだけとなった。もう少しで竹との格闘を終わる。この時期桜満開で孟宗竹は竹の子が出ている。しかしここの真竹はまだ出ていない。1ヶ月遅れかな?妻は腱鞘炎(バネ指)が治らないらしい。
平成21年10月土地購入しすぐ作業開始・・完成は 不明・・・・・経過をこのページに記録していきます
愛機 ユンボがとうとう壊れた。ラジエターの水がエンジン部分に大量に流れ込んだ。修理業者に依頼したら10万円では修理不可とのこと。仕方ないので廃車とし、業者に取りに来てもらった。無料引き取りです。ユンボでの作業はほぼおわっているのですが、いつでも使える状態ではなくなったのでさみしい。山の家の三種の神器はユンボ、運搬車、チェンソーだ。以後必要な時はレンタルすることにする。
ユンボの鉄キャタビラが外れたので修理した。素人でも修理できる。
ユンボの鉄キャタがゆるい状態で作業していたらしく外れたので修理した。
畑の土を山から運んでいてユンボの左側鉄キャタビラが外れてあわれな姿になった。初めてのことでどうしていいのかわからない。ブームを左に出して直角にして片車輪を上げて見たもののさっぱりわからない。インターネットで調べてみよう。
それらしき記述はあったが、自分ひとりで出来そうにない。
修理業者に頼むことにした。
業者は次のようにした。今回見ていたので、次回からは私と妻で修理出来るだろう。
@まず外見から、鉄の羽子板や連結部が折れたり切断されていないか見ていた。両輪の間がゆるいのか、きついのか見ていた。少しゆるいと判断したらしい。その理由として、脚部本体の真ん中に付いている鉄のふたについている2個のナットをゆるめ、さび付いていたのでたたいて外した。中にはグリスの注入口がある。基部に2センチほどのナットがついていた。それが台座になっている。長い間開けた形跡はなく泥で埋まっていたのを鎌の先で掘ってからまわした。このときニョロっとグリスが出てきたら圧がかかっていた証拠になるのだが何も出てこなかったので・・・グリスが詰まっていたら流れ出て、車輪間が収縮しこれで、キャタピラがダラリとゆるみ作業にかかれる状態になる)
今回の場合、キャタビラがゆるかったので(グリスが出てこなかったので)外れやすい状態のまま作業(運転)をしていたことがわかった。
Aキャタピラを長いバールでテコの応用で車輪中央の凸部に乗せ、エンジンをかけて少しずつ前進で動かしはめ込むのだが、うまく行かない。そこで横に伸ばしていたアームを、はめる車輪の前まで45度動かし、バケット部からチェンブロックを使い鉄キャタにかけて引っ張り、強くもなく弱くもなく引っ張るのがコツだが・・・そろそろと鉄キャタを動かしてはめた。カチャンとはまったときはホッとした。
車輪間がゆるんでいるのでグリス注入口から7〜8回動かして入れた。
(グリスは市販の青いジャバラに入っているもので100円程度のものでいいらしい。注入器も私が持っている一番安いので十分。このグリスがシリンダーに入り、車軸を外へ押すのだが、わずかの力で注入するのに、その力が巨大になってグイッと押しやるのかわからない。不思議だった。)
B車輪が伸び、キャタピラがピンと張る。 張る強度が素人ではわからないが強く張る少し手前で止めるのがコツ。
グリスを注入しながらキャタビラのたわみを足で蹴って調べていた。今回少し強めにしてもらった。
これで終了した。所要時間30分ほど、作業人数2人 一人ではエンジン操作とはめる操作の両方が出来ないので2人でないと出来ない。費用5000円
次回から妻と2人で出来る自信がついた。注入するグリスの量でキャタを張ったり弱めたりすることがわかった。はめる作業はエンジンをかけて片方のキャタビラを持ち上げて片車輪だけを動かして行うのだが、無理をせず慎重にゆっくりすることが肝心らしい。
修理業者は要領よく短時間で終了してくれた。小雨の中、きれいな作業着と手袋がドロドロになり気の毒だった。「またお願いします!」と言って帰った。
私はその後、グリス注入で少し伸びた油圧ピストン部に白い塗料でよくわかるように左右とも印をつけた。キャタビラが緩んできたらその線でわかるのでグリスを注入するためである。
上の画像で竹がいっぱいあるところをユンボで切り開き駐車場を作りました。山を削り谷を埋めて3台分の駐車場ができました。菜園へ入れる道路も作り、これで敷地内まで車が乗り入れられます。ゴールデンウィークは飛びに行かず、こんな作業ばかりしています。気温も20℃以上で暑い。私が初めて作った成果です。まだ凸凹していますが、踏み固めます。
正面の大木は後日掘り起こします。どんどん堀進んでいるので日ごと原形が変わり次第に広くなっています。
敷地内からの眺めです。竹でまったく見えなかったところを竹を切り、大木を切りこのように見えるようになりました。作業に疲れると一番眺めのいいところでお茶を飲んだり果物を食べて一息つきます。
正面に見える山は高取山だと思います。高尾山、横尾山や鉢伏山も見えます。すばらしい眺めを独り占め。
竹を切り始めて2週間ほどの画像です。最初の状況を残すために数枚貼りました。720坪の土地が全く空が見えないほど竹と木が茂り、これからどうなるのか不安のまま無言で作業をしました。疲れ果ててため息ばかり・・・この竹をすべて切るのに4ヶ月かかりました。現在は敷地内に一本の竹も生えていません。竹を退治するには全伐採をするしかありません。新しい芽が出るたびに切ります。2年で退治出来る予定が立ちました。それと、切った後に大量の土をかぶせておくと枯死します。面積が広いとこの方法が一番です。
画像はクリックで大きくなります。
作業開始時の竹藪は!
池を大きく、深くして、パイプで引き、サイフォンの原理を応用して畑の水槽と手を洗う場所を作りました。
畑は落差80cm、手を洗うところは150cm、面白いように水が流れてきます。いくら使ってもタダなので使うたびにニンマリです。
今までにない楽しい作業でした。
忙しく流れて行く日常のなかで、いつのまにか、見失ってしまった自分。 |
そんな時、この場所でゆとりを取り戻す、という心の居場所はありますか。 又八独り言 |
基礎の鉄筋を組んでいます。L型の土砂止め擁壁で高さ180センチ 、この上に家が建ちます。
敷地内に竹小屋を作りました。
基礎に生コン5立米を入れました
ユンボの油圧ホース2本を替えました。作業中破れてゴムの中に入っていた油が霧になって飛び散りました。原因は作動油を多く入れすぎて逃げ道をふさいだからだと推測しています。
土を運んだり薪を運んだするため、運搬車を買いました
一度2メートルあまりの高さからさかさに落としてしまいましたが幸いどこも壊れなかった。
ゴムクローラが少々いたんでいましたので交換しました。
450キロまで積めます。
その後この運搬車が大活躍することになります。
あとで聞いた話ですが、運搬機で怪我をする人が多いようです。バックして足を挟む事故です。
夫婦で長生きできればそれにこしたことはありません。
同じような趣味を楽しめたらなおさら楽しい晩年を過ごせるでしょう。
喜寿が1つの目標で、それまでは旅行したり、趣味を楽しんだり、したいことを何でも楽しめます。
私達も今がその真っ最中で国内旅行も北海道だけでも60泊以上していると思います。北海道から九州、沖縄までほとんど行き、外国もよく出かけてました。まだ行きたいところがあり、これからです。
キャンピングカーで全国をくまなく回るのも夢です。2年後に中古でいいので買いたいと思っています。
それはそれでいいのですが、あと10年もせずに日常生活に不便を来たし、運転もままならず、行動範囲が制約される年齢に達します。その時期を自分らしく生きられるか?その準備に「隠れが作り」を始めました。
さかのぼりますが、私は59歳で仕事をやめました。なんとか生活の目途もたったし、仕事もマンネリ化して新鮮味がなく勧奨退職を希望していたのです。
都会と田舎の二地域居住が夢だったのでやめる数年前に丹波の田舎に古民家を買いました。趣味の木工 陶芸 パラグライダー などをするためです。
その家からテークオフを眺められるので、パラグライダーを楽しむには最高の場所でした。工房も作り、そこで木工や陶芸ができるように電動工具を入れ 陶芸窯も作った。わずかな家庭菜園もある。
この青垣での二地域居住(11年間)は快適でした。田舎育ちの私は神戸駅前で育った妻にさぞかしいきいきと写ったに違いない。が、間もなく閉鎖します。
私は「終の棲家」について考えることがあります。
晩年、身体が動かなくなるまで過ごす場所と 何をして過ごすかを考えていました。
丹波の古民家は片道1時間半かかり行き帰り次第に苦痛を感じだした。パラグライダーは足腰丈夫なうちはいいけれど、70歳を目途にやめようと思っている。その判断は「机の高さから飛び降りることが出来なくなったら限界」を自分の判断基準にしています。
で、そろそろその時期が来たようです。
そうなると当然 神戸の家の近くで晩年を楽しく過ごす場所を確保し、準備をしておきたいとかねがね思っていたところ、手ごろな場所を確保しました。そこは永年放置されていた宅地で竹や木が繁っており開墾から始めなければならない。
そこを桃源郷にして、10年 あるいはそれ以上、そこで夫婦でコロコロ遊び 趣味を楽しみたいと願っています。ここを晩年の私達の隠れ家、桃源郷 御用邸にするのです。名前はまだ決まっていません。なんとか庵とか なんとか荘 になると思います。
今は長生きが出来るようになった。定年後30年がホントの人生。この時期をいきいき過ごしたい。
なかでも車の運転がおぼつかなくなる頃から身体が動かなくなるまで、年齢で言えば75歳ごろから90歳ごろまでの期間の日常生活をどう過ごすか・・・大事なことです。
75歳以上の年齢 政府が言う後期高齢者です。この年齢になると必然的に運動能力が落ち、介護の世話を受けることになり、人口に占める割合も増えて、現在で間もなく1割を占めます。2020年には2割に達しその後も増え続けるのです。介護を受ける割合も75歳〜1割 80歳〜2割 85歳以上は5割に達し、90歳以上ではほとんどの人が介護を受けることになります。都市近郊の住宅団地は入居時期の年齢層から街全体が老人介護の恐山になり、私の西神ニュータウンも名前を変更しているかも?大阪の千里ニュータウンが先例で、介護に必要な、人材と箱物がどんどん必要になる一方 税収は下がり自治体の負担は増えるばかりです。
このような超高齢者社会のさまざまな現象を背景に生きることになります。
社会はそうですが、最小単位の夫婦 家族もこの流れの中に身を置きます。超高齢者が社会からうとんじられ 自身も疎外感を味わうでしょう。
まさに、その夫婦、その人の真価が問われます。 「終わり良ければすべて良し♪」としたいものです。
少し回り道になりました。
このような実態を直視しながら、自分たち夫婦のその時期をどう過ごすのか?その準備を始めました。
私の隠れ家作りがスタートしました。完成は5〜10年後でしょうが、遅くもなく丁度いい時期に開始したことになります。
その隠れ家では、工房を作り、木工 陶芸 などをします。家庭菜園 果樹園 ガーデニングを楽しみ、椎茸園や 池を作ったり、ツリーハウスも夢見ています。少年の頃の夢実現です。
隠れ家では作品を並べ、薪ストーブのある冬を過ごします。などなど夢いっぱいですが、その何割を実現できるでしょうか?出来ないのでしょうか?
身体は日毎に弱り、行動範囲がせばまる中で、将来の楽しみを夢見るのが半分、病気・不自由・あきらめを実感するのが半分で日々過ぎるのでしょう。そう言えば以前私のHPエッセイで 「ほとんどの老後は幸せでないことを今から十分認識しておくことが大事である。」と書いたことを思い出します。
出来なかっても、その夢へ向かって進む日常が楽しいし、子供が引き継いでくれると思いますが、事情でそうならなくとも同じような趣味の方が次代へ引き継いで下さると思えばそれで満足です。
定年後このような生き方をした1つの例を提供出来たことになるでしょう。
工房作りを始めたわけ
11月に入り 蚊がいなくなった。藪蚊には閉口した。さて型枠を作り生コンを流し込み天端を揃えるところまでいっきに進んだ。生コンのポンプ車が敷地まで上がらず、1時間ほど手間取った。とんだハプニングでした。
山の家作りは2年目を迎えました。昨年11月に竹を切り始め 腱鞘炎になりながらも2000本ほどの竹を切り、まとめて積み上げ、山を削って土を切り株の上にかぶせました。1年たつと根は黒くなって枯死し、ユンボで簡単に掘り起こせるようになりました。斜面の竹は出次第切り、次第に勢いが弱くなって、後1年もすれば絶えそうです。安易な予想かも?竹はそんなに弱くないゾ〜
この1年は竹との格闘、これから家作りが目に見える形で進むでしょう。楽しみです。画像はちょうど1年経過後。
山の家作り1年経過しました
工事用臨時電気を引く場合は業者によってこれほど違う!! 注意しましょう。
A業者の場合 B業者の場合
臨時工事費 23100円 臨時工事費(関電引込みを含む) 14500円
関電引込み費 12075円 関電申請手数料 5000円
関電申請手数料 8000円
計 43175円 計 19500円
月別電気代 1ヶ月目 8115円 月別電気代 1ヶ月目 643円
2ヶ月目 7888円 2ヶ月目 541円
3ヶ月目 8201円 3ヶ月目 540円
4ヶ月目 8231円 4ヶ月目 539円
A業者は業者名義で申請していたため4ヶ月
過ぎて初めて私に請求書が届き あま
りの高額なので直ちに関電の契約を解除した。代金は
仕方ないので全額支払い B業者にかえて初めから
やりなおしてもらった。
最初の打ち合わせをもっとしておくべきでした。一番安い方法で設置してくれるものと油断していたのが悪かった。
関電から最初に請求書が来たとき連絡してもらえば被害はもっと少なかったのだが。
B業者にかえ、あまりの安さにびっくりしています。 この差は大きい。4ヶ月 7万円ほど高い授業料でした。
2011年4月 建築の様子です。
アリスのパン屋さんが訪ねて下さいました。玄関での画像です。外壁を張る前に防水シートを張ったところです。
天井の梁を墨汁で黒く塗った。
ユンボが動かなくなり23年6月 業者にとりに来てもらうことにした。
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魔法瓶浴槽の小さな風呂 窓を低くして外の景色が良く見えるようにしました。なにしろ周りは山で覗かれる心配はありません。晩年 風呂を楽しむことができるでしょう。 |
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福田さんが訪ねてくれました |
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中嶋さんが訪ねてくれました |
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窓の位置を低くした |
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エコ給湯器を設置 370リットルです |
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2階のフローリング 35帖をほとんど一人で張る |
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1階もフローリング完成 |
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6帖和室の床に収納庫6個作る |
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階段の下にも収納庫を作る |
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風呂からの景色 |
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岸田さんにもらったグラジオラスが咲く |
ニトリのシステムキッチンを入れる
家は間もなく完成するが、門柱 道路 工房、果樹園などなど今後3〜5年はかかる。
体調に気をつけ 気長に挑戦です。
今年初めてヒラタクワガタを捕まえた。(7月2日)
去年は20匹捕まえたのでことしはもっと期待できる。
気温30度、汗びっしょりで雨水処理のパイプを埋める。大きなユンボが動かないのでミニユンボの登場 このクラスだと人間の3〜4人分働く。
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工房のテント下で子猫が生まれていた。 野良猫の子、一匹死んで今4匹が育っている。 近所に野良猫に餌を与えている人がいてどんどん増えている。 |
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玄関の上に雨よけひさしを作る |
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和室にエンコ板を張る |
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2階クロス貼り |
長い間使っていたユンボが動かなくなり ガスバーナで解体してもらい持ち帰ってもらった。
愛着があったのだが、動かなくなると鉄のかたまり。
どうもできない。
今後は必要時リースで借りてくる。
忙しく流れて行く日常のなかで、いつのまにか、見失ってしまった自分。 |
そんな時、この場所でゆとりを取り戻す、という心の居場所はありますか。 又八独り言 |
玄関の周囲は基礎が終わってから埋めています。だいぶ沈下したもののまだまだ沈下するでしょうが、2層の鉄筋を入れたコンクリートを打ちました。
もちろん、何度かランマーで転圧しましたが・・・沈下状態を見てタイルかレンガを張る予定です。
現在の工房の様子です。竹小屋を撤去、整地して新たに小屋を作ります。薪の保管と木工材料の保管用です。家の周りも片付けています。
晩年を木工や陶芸、家庭菜園 果樹園などでノンビル過ごす拠点の工房が丸2年かかってこのように出来ました。
竹林を開墾してからの大作業でしたが、これからベランダを作り、陶芸窯を作り、作業小屋を作り 駐車場の拡張、などが残っています。あと2年ほどでガーディニングを含めて完成します。
これからはこの建物、敷地をどのように生かして活用するか・・・有効活用したいと思案中です。
ベランダが出来た
ユンボが故障してから作業が面白くない。 |
24年春の敷地全景
玄関前 丸太広場
10日間ほどかかって完成
敷地内に作業小屋・薪置き場を作り始めました。ひとり作業なのでゆっくりです。
暑かった夏も過ぎ、10月に入り屋根部分が次第に出来てきた。鉄骨と木材は鉄を貫通するビスでとめる。屋根勾配がゆるいので雨漏りを心配してコンパネの上にポリカーボネイトを敷くこととした。
丸太広場の前に獅子脅しを作った 水やり用の水槽と金魚水槽を兼ねる
工房が完成した。陶芸サークル室として使うのは 16畳 裏に木材置き場と薪置き場を作った。
中央が第二駐車場、キャンピングカーも買いました。
右が家庭菜園 土壌も次第に肥沃してきて畑らしくなりました。
左が果樹園 まだ木が小さいのでスイカなどを作ります。
完成間近状況
奥4畳は休憩室です。