日曜大工で茶室を作る

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素人が日曜大工の延長で茶室を作った

・ 茶室を作り始めた訳
   もう7年も前、青垣の家が片道1時間半が遠すぎて、近くに家を作りたいと物色していた時、手頃な土地を手に入れた。そこは開発途中で中止された造成地で竹が生い茂っていた。ユンボを買い少しずつ切り開いてとりあえず家を作った。陶芸工房も出来た頃、私が「山の上に東家を作ろうか?」と妻に言うと「東家を建てるんだったら茶室を作って」と言う。そうか、それなら茶室にしょう、と始めたのが最初だった。それが、あとでとんだ苦労の連続になろうとは予想もしてなかった。簡単に考えていた。全くの素人、茶道の「さ」も知らない男の無謀な挑戦が始まることになる。
家内も、陶芸をしているので湯呑などどんどん出来て困っていたのだろう。家内の先輩や友達に茶道の素養がある人が多いのでなにげにそのように言ったのかもしれない。木工は椅子を作る程度の腕の亭主をからかってみたらどうかという悪戯心がひそんでいたのかもしれない。

・ 大工の実力
    パラグライダーを20年来の趣味として楽しんでいたが、どんどん空から墜落して死ぬ人が出てきた。一度は死ぬのだから何処でお陀仏になっても、気にしない、気にしないと遊んでいたが、でも65歳を過ぎ、足腰が弱ってくるとさすがに気持ちも弱る。長年の趣味もいいかげんに区切りにしないと、そんな気持ちが胸の奥にあった。退職してポリテクセンターに半年通ったおかげで大工仕事の基礎を習った。その後、三木山森林公園で毎年1回行われる木工教室へ行っていた。羽賀先生の指導を受け
自分ではわからないが、少し木工がうまくなったらしい。遊び半分で迷惑をかけながらの数年であった。それでも椅子やテーブル類の手で持ち運べる程度の作品で、茶室とは縁遠い。

・ 設計図が書けない
   2間×2間の茶室を作り始めたが、基礎工事をしてから水屋がいることがわかり、2帖の水屋を追加した。山の斜面を切り開いて敷地を作るので、本体が乗っている部分は削ったところ、埋めたところは庭にと考えた。ところが後々、埋めたところが地滑りで地面にひび割れが出来、これを見た子供たちは今にも茶室もろとも崩壊するだろうと言い出した。土木作業などやったことがない。強度もわからない者が反論できる根拠もない。それはさておき
設計図が書けないので、駐車場をまっ平らにしてコンパネを敷き、原寸図を描くことにし、これに合わせて裁断した。継ぎ手、仕口は結構強度のある難しいものを採用したので、刻む段階から時間を食われた。間違って切ってしまいその修復に半日、1日を費やすこともあって情けない気分に打ちひしがれたが、そんな時は青の洞門を切り開いた坊さんのことを思い黙々と作業をしていた。この状態を見ていた三男の嫁は「おじいちゃん、閉じこもりになった」と言ったりして、笑い話になった。
作業が進むと、仮組などをして楽しい時間が流れた。完成を予想して小さな1歩だった。
どうしてよいかわからないときは、まず最初の柱 1本を建ててみよう・・・と打開策を模索した。

・ かかった総経費約200万円
   外注したのは畳屋さん、クロスやさんのみ。電気は引かなかった。部材は近くのロイヤルホームセンター購入した。近いと言っても往復20キロ、もう何十回往復したことやら。建具などはあるものを使った。天井は古道具屋で簀の子の戸を買って使った。竹や木は裏山から調達した。生セメントはすごい量使った。山の家の通路の補強や工房などなど記録していないが相当な量。これを練るのにコンクリートミキサーを買ったのでそんな費用すべて込み 約200万円。

・ 茶室を作るのは難しい
   一般の大工さんでも茶室作りは請け負わないと言われる。工法もさることながら流派によって様々。施主とのトラブルは絶えないらしい。数寄屋作りを専門とする大工さんが、通常の家の2倍から3倍の費用と日時をかけて出来る。その上に高価な茶器や道具をしつらえると大変。究極の贅沢。
我が家は施主は文句を言わない。マイペースで進めるので助かる。
 間取りは小間の4畳半 水屋を決めて茶道口、床の間、躙り口を決めて、炉を最初からはめた。
それに合わせて材を切り、小屋組みした。水屋部分の屋根が難しい。屋根を張ると一安心。
建具の枠を設置してから壁の下地を組む。時間がかかる。何度も垂直を確認して筋交いを入れなおす。
床の間には赤松の皮付き柱にしたが、これにとりつくのが多くて一番の苦労。框は紫檀。
水屋は裏千家仕様。炭入れを掘り込んだ。炉は正規の基準で作る。天井は客の上を高くして斜めにしたので組み合わせがむつかしい。天井高は色んな資料からもっとも一般的なものとした。待合と塵穴、露地を整備して山門を作り四ツ目垣を立てた。こうなるとにわかに茶室らしくなった。飛び石はコンクリートで大小工夫して作った。

・ 完成近し
   完成を控えて裏千家今日庵主催の茶道教室へ通い始めた。湊川神社で6ヶ月20回 今回の生徒は8名、男は私1人、ながく正座ができない。そこで足が痛くならないように工夫した。30分ぐらいは平気。正座できない人のために椅子に掛けてすることも出来るが、椅子はどうもいただけない。
形が出来てくるにしたがって一番喜んでくれたのがお内儀。自分が建てた如く得意になって喜んでいる。私は教室が終了するともう習うのはやめる。茶道は性格上合わない。ただ、点ててくれると喜んでいただくことにする。そこで今後の茶室の利用だが、無料開放する。教室をしたい人はいないかな~
毎週1~2日、茶室を利用してくれるとうれしい。今、陶芸サークルで毎週木曜日が賑わっている。
これにお茶が加わればさらに楽しくなるだろう。

・ リタイア後の時間の使い方は千差万別
   茶室を作り始めてから2年半、あと蹲踞と灯篭など露地の工事が残っているもののほぼ完成。
 苦労も多かったが楽しかった。茶室をしていなければ何をして過ごしていただろうか?多分大したこともせず、時を過ごしていたに違いない。定年後の有り余る時間を有効活用する人となにげに過ごす人とではこの差は大きいような気がする。最もなにが良いのか、なにが幸せなのか?はわからない。
しかし、絶えず前向きに過ごしたいもの。その結果が茶室に現れたと思う。私のホームページのタイトル「定年後いきいき生きよう30年」は大事な目標です。

・  感想
    楽しかったが実に難しい茶室。 専門大工さんが見たら欠陥だらけだろうが、気にしない。
気にするときりがない。完璧を求めていない。最初から。だから、茶室を見て「ここがまずい、ここが間違っている」と言わないでほしい。言われても出来ないし気分が悪くなるだけ。所詮茶道など勝手に人が決めたルール 躙り口の戸は杉板2枚半を使い、サンに打つ釘は上から7本 5本 3本で釘の形も決まっている。暇人が決めたことと聞き流すよりない。  
茶室も同じことで、機嫌よくお茶をいただける空間があればよい。茶室を作るに当たって2人の大工さんに尋ねたが、大工さんも私の腕がわからずどこをどう教えたらいいのか判断しかねたらしく、教えてもらえなかった。ほとんどの知識はネットを通じて得た。なので、細かいことを聞かれても知識もないしわからないが、楽しい2年半だった。これは健康だったこと、夫婦で取り組んだこと。節約家のお内儀も茶室には何も言わなかったからだと思う。


     

作業の順に画像を並べています。








駐車場を平らにしてパネルを敷き、原寸図を作成するための作業を始めました。茶室用地はこのすぐ上です。



土木作業は進行が遅いです。




結局 左端のやや斜めに伸びている木を残してあとの3本(ロープで引っ張っている木をはさんで3本)を切り茶室用地を作ることにしました。
切った木の株もユンボで掘り起こしたので手間がかかります。



大きな木を倒すにはこちらも相当な注意力と気力が要ります。



幸いに土砂が扱いやすいので助かりました。



3本の大木を切った後です。茶室用地の全容が出来ました。



雨が降るたびに土砂が流れて大変です。



2間×2間の基礎を作りました。ここまですべて一人での作業です。基礎はランマーで転圧し柱の位置は強化しています。
ランマーはのちに調子悪くなり手放しました。



最初から炉を埋め込んでおくことにしました。



追っかけ大栓継ぎを4か所セット 強い継ぎ手です。



雨が降るたびに流れるので排水溝の設置



外壁にコンクリートを打ち土砂止めと露地の敷地を広げるための作業 疲れます。



これで落ち着いてくれればよいのですが 2ヶ所亀裂が入りました。その後経過を見ていますが大丈夫なようです。



秋も深まり敷地とアプローチがほぼ完成 土木作業は大体終わって建物にとりかかります。



原寸図を書いて、材木を切り刻む作業を開始 何しろ設計図がないので慎重な作業が続きます。
設計図なしで作業をしているで、皆が驚きます。私はあってもなくても同じことです。



屋根の交点を組む



出来上がった部材で仮組してみる。形ができるとうれしいものです。



ホームセンターの割引が多い時に屋根材だけ買った。




基礎を組む





床を貼って柱を立ち上げる。危険な作業を一人でこなしました。












春日台里山クラブの皆さんが応援に駆けつけてくれ、順調に屋根を張る このへんは楽しい作業が続きます。




ひさし 部分は裏山で切った木を使いました。



少し茶室の雰囲気が出てきたところです





屋根が完成したので気が楽になりました。ここまで1年が経過しました。これから先の仕事量の多さに前途多難です。




建具を入れる枠を作りながら作業を進めます。もらってきた障子などの建具を入れる。筋交いを修正、補強しながらの作業。



雨樋は竹を使います。



杉材で濡れ縁 少し傾斜をつけています。



漆喰が塗り易いラスカットを貼る

天井を受ける廻り子





2帖部分の天井は裏山からとってきた竹を使いました。



水屋まわりを作る 水道は60メートルひいてきた。床下に炭入れを作る。手前1帖は畳を敷きます。杉材を使用





床柱はアカマツ 取りつく部材が多いので一番苦労した。 天井は斜めで少し高くした。亭主側の天井よりも高くする。
傾斜があるので組むのがむつかしかった。内側は漆喰調のクロスを貼る。床の間は畳 天井は掛け軸の関係で少し高い
茶室の天井高は江戸時代の茶室を参考に現代人の身長と比例割りした。落とし掛けは桜の丸 框は紫檀
床の間は一間よりやや小 天井の部材はすのこの戸を利用 



茶道口を丸く切る。




ここまで丸2年経過、躙り口は正面下に作る 外付け むこうに見えているのが山の家 50メートルある。着替えやトイレ、その他は
山の家を利用する。




漆喰をぬる。土佐漆喰  少し着色した。結果少し白すぎた。壁はもう少し黒いほうがよかった。




茶室の露地 飛び石を作った。植木は設計図を作って植える。露地の入り口に門、奥に待合 手前に蹲踞を作る。
飛び石の周りに竜のヒゲを植える。後に雑草の処理に苦労する。




漆喰塗もまもなく終わります。




建具を入れて、待合を作っています。



軒天井に竹を張っている 



待合の屋根を作る。小さいながらも手間がかかった。



内装も進む 漆喰調のクロス張り終了 茶室らしくなってきました。



お内儀作成の銘板を掲げる 命名者はお内儀の友人 読みは「ゆうあん」



待合が出来た 貴人席は御影石を使う



露地の門を作っている




梅雨で作業がはかどらない。夏は暑くて休み休み、となると9月完成は無理か?




四ツ目垣も半分ほど出来た。和風の雰囲気が出て気に入っています。梅雨で作業がはかどりません。



梅雨の合間をぬってアプローチ道のコンクリー作業をしている




躙り口のまわり 少しすすんだ。梅雨空でうんざりです



茶室の水屋が出来た。裏千家仕様。棚も多くした。点前に水屋箪笥を置く。

手間のかかるところの筆頭は水屋と床の間



躙り口を作った。茶室の最も注目される場所、細かい決まりがあるも気にしないことにした。 



躙り口の上 開口部に障子を入れた。躙り口の上にはこのような明り採りが必要らしい。



裏千家今日庵主催の茶道教室へ行ってます。8/10日は生田神社での茶会に参加
半年、偶然会ったこのメンバーで楽しく過ごしました。まさに「一期一会」 



茶室の床の間横に違い棚を作った。材質はケヤキ、棚部分は桜 

下部に引き戸を付けて収納しやすくした。早朝と薄暮の作業なので2週間ほどかかる。
違い棚は床の間の方が高いのが多い。引き戸の鏡板は後に家内が彫刻してくれた。



炉縁を作る。時計回りに取回す。小間では木目が多い。広間では塗が多い。



畳屋さんに来てもらい採寸した。



塵穴2ヶ所作る 小間では円形が普通 5弁の花をあしらった円にした。



畳が入ると茶室らしくなった。とりあえず使えるまでになった。



畳が入ったので道具を運んでいます。これは最初の薄茶の練習をしてみたところ。

武庫の花さんの評

やりましたね!長期間の努力の成果がしっかりと形に残って素晴らしいですね(^◇^)
畳が入ると、一段とそれらしくなって、ここに御軸や茶道具を並べたら十分に「お茶室」です。
外の蹲や灯篭はもうちょっと先でも、もう十分にお茶を点てられる雰囲気です。

実際にこの目で見せて頂いたら余計に感動すると思います。
ご自身もこの茶室で一服されたら、感無量ではないでしょうか?!
取り敢えず、ここまでの完成、おめでとうございます<m(__)m>

ギター職人さんの評

ずいぶん立派な茶室になりましたね。感心どころかあきれ返るほどですね。早く見たいと思っている内に秋風が吹きました。お見事です。
銅鐸って御茶会に使うのですか?どんな音か楽しみです。


武庫の花さんの評

素人でこれだけの建築物を、わずか2年半で形にしたのは驚き以上に「天晴れ」です。
又八さん、理解ある奥様、横で見守っていらしたご友人方々、さぞや感無量の心情じゃないでしょうか?
人が、何かを始めようとするとき必要なのは「時間」と「お金」ですが、それ以上に大切なのが「努力」と「根性」だと思います。
「努力」「根性」は私には無縁なので、余計に今日の文章を読んで感動しました。

これから先、ず~~と先でもこの建物は残るのですから、又八さんの素晴らしい手仕事が語られることでしょう。
特に、お孫さん、曾孫さん方がこのお茶室でお茶を点てられる日がきたら「おじい様は凄い人だね!」と会話されることが想像できます。
ですから、自信をもって大勢の方にご披露して下さい(^◇^)

里山爺さんの評

労作にして傑作「又庵」は It is quite amazing.ですね。
思うに貴セカンドハウス 青垣時代 既に鬼才を発揮し、釘を初め
打ち込みのない 完全木組み式「木馬」大人が乗っても頑丈なもので
兵庫県の森林関連最大の祭りへ出品し、県トップも興味を持ち、
インドの企業家が素晴らしいと云って孫の為、高額で購入されました。

訪問時、同行した我が里山の長老(細部大工職人であった)が多数の
砥石を見て食いつき、全部を一つづつ確認後、「この人(又八さん)
は只者ではない」と認識していました。専門家は食いつくとこが
変わっているな~ と思いました。

いずれ貴茶道の先輩同輩にもご来訪頂き、楽しまれたらいいですね。
今日の写真一部を掲載してみます。
アプローチからの全景 左下は自然真砂土の野菜畑
アプローチゲート写真 風情がありますな~
貴ホームページへ説明付写真多数アップして、皆さんにそのURL
案内をしてあげて下さい。



全体の画像です。クリックで大きくなります。



外露地

山門 四ツ目垣で囲う

内露地へ

飛び石は手作り

待合

右に関守石

塵穴

躙り口


躙り口右に塵穴




濡れ縁




違い棚と銅鑼

床柱は赤松の皮付き




躙り口内側

客座の天井は高い

裏千家仕様水屋

水屋の棚

水屋

水屋

躙り口から

物置

水屋箪笥




茶室の畳に座ると西神戸の景色はこのように見えます。





2017年1月 初釜 山田先生宅 茶室で


茶室の灯篭と蹲踞を配置し、これでほぼ茶室は完成です。