年末にいつも気になって遅れ気味になる年賀状だが、今年は早々に書いた。肩の荷が下りた。いつもは20日も過ぎる頃家内にせかされてそれでも最終まで引きのばして書く癖がついていたのに比べると今年は誠に喜ばしく、正月までの仕事は掃除(これもかたちだけだが)だけで、気楽になった。
毎年年賀状を書いて思うことだが、書くのを中止したく、年々その感じを強く持つ。私の大先輩は、年賀状を書くのを一切止めた。「年末年始にゆっくりしたいので来年度から年賀状を欠礼します。あしからずご了承下さい。」と年賀状の最下欄に印刷されていた。あやかりたい気持ちだが、「お前は変人か」と言われそうなので延び延びになっている。変人と言えば小泉さん、この頃になって益々懐かしい気分だ。ときの総理が「命にかけても」と推進した法案に反対し内閣転覆を企てた議員の背信は重い。なのに安倍さんは最初から復党させる腹つもりのように思えた。チルドレンの一部と山本一太などの若手議員の少数が必死の反対運動をしたが、象に立ち向かったアリのようなもので全く歯が立たなかった。永田町の常識は不思議な常識だ。何も急いで今復党させる必要は無かったのに残念で安倍さんがいっぺんに嫌いになった。小泉さんもその辺のことは最初から承知の助で、好きなようにさせて、確たる自分の意見を閉じている。武部さんがその意を伝えても効果がなかった。カラオケやじゃんけんパーでは影響力はない。どうしたもんだ自民党。元に戻るが、変人と言われても年賀状を書くのはやめようという気持ちは年々私の中で大きくなっている。近く止めたいものだ。年賀状のない年末年始はスッキリして気持ちいいだろうナー。


この記載後から年賀状を書かないことにしてその旨を連絡し 一切やめた。スッキリした。その後年末がくるたびにやめて良かったと思う。

25  年賀状に思う

このホームページのタイトルは「いきいき生きよう!」だが、毎日いきいき・・・はむつかしい。もっと気楽にしてもよさそうだ。そんなとき東北大学医学部山口氏の記述をみて、参考になった。

「よりよく生きるのに一番いいのは、生きるとか死ぬとかに過度にこだわらず、気楽に生きることではないかと思うのです。私は手に取ったことはありませんが、毎月同じ日に新聞の出版広告に載る、いわゆる健康雑誌というのが何種類かあるようです。やれ、何とか酢が驚異的に何かに効くとか、豆がいいとか、ヨーグルトがいいとか、手をかえ品をかえ健康と長寿にいいというものが見出しを飾っています。あの広告を見て、いつも思うのですが、そんなことを心配して、毎日、酢(に限りませんが)のようなまずそうなものを顔をしかめて飲むより、楽しくお酒でも飲んで散歩でもしてた方が余程いいに決まっています。実際の講演の最後にご質問にお答えして言ったのですが、結局、“何のために”長生きするのかを考えないで、長生きすることが目的になってしまっては、いわば自縄自縛というものではないかと思うのです。」

今、いちじくが次々に熟している。日持ちしないのでとりあえず採ったが食べてもらう人がいないのでこまった。いちじくは食べ過ぎると軟便になりさらに下痢となるが気にせずに食べてもそう害はないらしい。私は1日5っまでと決めている。5っをじゅっくり味わうように「いちゅじゅく」と名づけられたと決めている。形も白い汁もめずらしい果物だが、歴史は古く旧約聖書にものっている。

「王が腫瘍で命が危ない時、予言者が「干しいちじく」を食べさせ治った・・・また、アダムとイブの時代から「知恵の木の実」と・・・」

無花果という字もおもしろいが種は中にあると言うが、探しても見当たらない。ホントに無花果は身体にいいのだろうか?ネットで調べてみた。

いちじくは不老長寿の果物といわれるほど、実も葉も薬効と栄養価が高い果物です。いちじくは漢字で「無花果」と書くのですが、花が咲かないわけでなく、外から見えない実の中に無数の白い花を咲かせます。果実の中の赤い小さな粒が花です。名前の由来は「一月にして熟す」とか「一日一果づつ熟す」などという一熟(いちじゅく)が変化して「いちじく」と言われるようになったという説があります。・・・と書かれている。

薬効はどうか?
イチジクの実は便秘に効果的
健胃、整腸の作用、潤腸作用があります。よく熟した実を1日に2〜3個食べれば、便秘に効果があります。 ただし、未熟な実を食べると効果がないだけでなく胃があれることになりますから注意しましょう。
二日酔いを防ぐイチジクの実
酵素が含まれているイチジクの実は消化作用を促進させるので、お酒を飲んだ後に食べると、二日酔いになりにくいといわれています。
風邪のときにもイチジクの実
炎症を抑えるはたらきもあり、喉の痛みを抑えたり、黄疸の治療にも効果があるそうです。
イチジクの葉の効果
イチジクの葉を煎じたものを空腹時に服用すると血圧降下の効果あり。 また、お風呂に入れると、神経痛や痔に効果があります。
イチジクの実の成分
プロテアーゼという、タンパク質を分解する酵素が多く含まれていますので、お肉やお魚料理との相性がとてもよく食後のデザートに最適です。 ペクチンという水にとけやすい食物繊維が含まれています。
ペクチンは腸の中をきれいにしてコレステロールの吸収をおさえるため、油っぽいものを食べた後のデザートにもピッタリです。
白い乳液の成分
葉や茎を傷つけると出てくる、白い乳液。タンパク質分解酵素を含むので、虫下し、いぼとりに使用される。この乳液は、正常な胃腸には関係ありませんが、潰瘍などを起こしている場合には有害になりますので、注意が必要です・・・

中高年には最高の食べ物のようだ〜〜〜


定年後の幸せの条件の一つに「良き友」がある。気の合った友と過ごす時間は心地よい。在職中は自分で上司や部下を選べないからどうしても嫌な感じの人とも合わして来たが、定年後の今は直感で付き合いたくない人とは付き合わないようにしている。自分を殺してまで付き合う、そんな時間はもったいない。にがにがしく思う人とは付き合わない。定年後の友はサークル活動などの人はともかく、数名の気の置けない人があればよい。良き友といればしみじみ幸せを感じる時がある。
あるホームページに次のような記述があったので紹介する。

『付き合う人を選ぶ』というと何やら、後ろめたい気もするけど…。
付き合って、幸せになれない相手には近づかない方が賢明だ。
逆に『幸せになれそうな人を選ぶ』これが大事。
では、どんな人と付き合えばいいのか?
これは、価値観や経験、自分が目指す幸せにもよるけれど。
素朴な幸せを持ち合わせた人が良い気がする。
お金持ちとか、地位がある。その人と付き合うと利益がある。
そんな打算よりも、まずは素朴な幸せ。
単純に、一緒にいて楽しい。なんだか心があたたまる。
そんなことが大事。
幸せな人は、幸せを意識していますし、理解もしています。
人が幸せを大きくしてくれる事も知っている。
そういう人は、相手を理解しようとしてくれるし、尊重もしてくれる。
それが、また、自分の幸せになることも解っているのだから。
『相手を幸せにする事が自分をまた、幸せにする事』も知っているのです。
こんな人ときちんと向き合って付き合うことは、お互いの幸せを高め合うことに
繋がりますね。(幸せ研究所のHP、幸せのヒントから)

もうすぐ3月の異動月
この3月で定年退職する人はもういろいろ準備していると思う。再就職を希望している人はちょっとでも良い条件のところを探し、家でゆっくしたい人はこれからの自分の生き方をこたつで模索している時期だろう。定年後はどうか自分の納得いく過ごし方をして欲しい。人の敷いたレールに乗った、あてがいぶちの勤務は、後悔する。自分の時間なんだから、自分で決めて進んで欲しいと熱望する。定年後の人生でその人の値打ちがわかる。終わりが幸せでないとすべて良くないのである。他人のため、社会の為に働くのもいいが自分のために楽しく時間を使うことが最も優先する。他にしたいことがないのならともかく、あるのに辛抱するのはつらい。行きたいところがあるのに行けないと夢も追えない。いつくたばるかわからないはかない自分を犠牲にすることはないのである。ネットで定年後の充実した過ごし方を検索すると山のように出てくる。シニア年代が作ったホームページも多く、田舎暮らしから登山、旅行などなど多くの趣味を満喫している事例は多い。定年後は100人100様で、それを知るのには便利なネットがある。
この、ネットのことがホントは書きたかったので、前置きが長すぎた。

表題で「ネットは現代の玉手箱」と書いたが、この時期、食指を動かして欲しいものにパソコンがあるんです。パソコンでインターネットにつなぐと、これは現代風玉手箱ですヨ。これを使うと晩年、面白いことが山積しています。是非、是非パソコンを活用できるようになってください。私も独学でホームページを開いてからネットが面白くなり、今ではまさに玉手箱。何でも判るし、ゲームもできる。世界中旅行も出来、そこの画像も取り寄せられる。何でも買えるしかつ安い。株を買えるし銀行へ行くこともなく振り込める。郵便番号、家の所在地の航空写真まですぐわかる。政治、経済から、話題の2チャンネルまでやじ馬根性も発揮できる。図書館を家の中に持ち込んだのと同じ、定年後の生き方、暮らし方、年金でどの程度不足するのか、もし病気になったらどうなるか、もらった薬は大丈夫か、とにかくなんでもわかる。この便利で面白いネットを利用しない手はない。
定年後いきいきしている人はインターネットをうまく利用しているような気がする。する人としない人と別れるならする人の側に立ってほしい。


定年退職後丸8年が過ぎました。早いような、まぁ、好きなことをして恙なく過ごしたっていう感じでホント喜ばしい。この1年は年初木馬を10脚作り、それが終わって3月から延々9月までかかって4畳のサンルームを作った。木馬はそんなに楽しいこともなかったのですが、サンルームは楽しかったな〜。
小さな石を拾って来て金づちで打ってセメンを練り基礎作りから始めた。椅子とかテーブルは作ったことがあるが、こんなに大きいものは初めてで、手本はない。自分でこんなものを作ろうと決めてひたすら試行錯誤しながら原寸図を作り、継ぎ手の見本を作り、素人がやる漫画のような作業の連続でした。作業中はそんなに感じなかったが、完成後振り返って楽しい楽しい日々の連続した6ヶ月だった。
結果、素晴らしいのが出来、カインズホームの手作り大賞に応募したが、入賞しなかったけど、でも自信満々!

完成記念とまでは言えないが、その後バリ島へ15日間行ってきて、同行者が赤痢になった。私も赤痢の症状が出ていたのでビビッタ!
保健所からの健康診断の命令が来て、結果陰性だったので安心したが・・・(バリ島旅行記参)

パラグライダーは良く飛んだ。最近で一番多く飛んだ。今頃は自分で楽しむことにし、周りの人に関係なくひたすらマイペースを保持した。これからもこの調子だ。まわりの人は「もう歳だし、そろそろやめたほうがいいよ!」と言っている。まだ、足腰大丈夫だし、もう少し続けたいナ〜ッと。

その他ゴルフや陶芸なども楽しんだし、6月から趣味人倶楽部にも入り、HPとあわせてネットの楽しみも増えた。
経済的にもこの先の支出も予想がたつので、ほそぼそとやって行くことで見通しがついた。健康は今は大丈夫だが、これは見通しがたたないから、出たとこ勝負で行くことにした。コレステロールが高い程度。酒はあまり飲まないことにした。酒は百薬の長だと言うが私の身体から言えば嘘だ。飲んだときは調子が悪い。なので、できるだけ飲まないようにしている。飲めるのだが飲まないのがいいでしょ〜。そう、アル中ではないようです。

そんなことで、この文を書きながら、他の人のエッセィもチラッと見ているが、私の定年後は極めてこじんまりしており、自己中心型であることが際立つ。私はそれでいいと思っている。
このエッセィ冒頭で次のように書いている。もう一度確認し今後もそのように生きようと思う。

「自分が自分らしく生きるためにはどうすればいいんだろうか?過去の仕事を引きずらず切り離し、趣味と友と前向きな姿勢だ。趣味は出来るだけ創造していく、作り出していく趣味が良い。友は気のあった数人おれば十分である。嫌いな人とはつき合わない。一人で楽しく生きられるよう自己主義をつらぬくことだ。「定年をすぎてからは余生を楽しんでいる。」と言うが、この考え方は間違っている。定年後はむしろ本生(ほんせい)なのであって、今までが本生のための準備期間、いわゆる予生(よせい)であったのだと思うべきである。定年後が本当の自分の人生。他人のためでもない、社会とか世の中のためでもない、家庭のためでもない、自分のために自分で生きなければ充実と満足はない。」


2月2日から3月3日までハワイのワイキキ浜近くのコンドミニアムに滞在した。ハワイは暖かく、日本人にやさしい実に快適なところです。楽しい滞在だった。次回は家族と一緒に行きたいな〜。ハワイ旅行を終えてどんなところが良かったのかを書きます。

気候が良い・・・・何といっても気候がよろしい。22度〜28度、たまに30度を越えることがあっても日陰は涼しい。夜間もそんなに温度が下がらずタオルケット1枚で寝られる。空気は少し乾燥している。外出は半そで、半パン、バスの冷房が気になる人は長袖を1枚腰に巻いていく。そんなに汗もでない。ダイアモンドヘッドへ登ったが疲れない。この気温の中で暮らすと疲れを知らなくなる。何故かわからない。ハワイは疲れを知らない場所、いくら歩いても疲れない。疲れてもその足元から回復しているのか?「なんぼ運動しても、遊んでも疲れん・・・・」と皆が言います。ほんまかな〜、半信半疑の人が多いかも・・・でもっこれはホント! 雨もほとんど降らない。毎日が良い天気。毎夕、夕陽を見る船が出ている。それでもハワイは水が潤沢にある。山間部では雨が多いらしくそれを貯蔵しているのか、街のいたるところに噴水や大小の池があってきれいな水がいっぱいある。もちろん水道の水は滞在中ガブ飲みしていたが何の問題もない。下痢など一度もない。東南アジアとちがうところです。体調を少し悪くしたのは滞在はじめに空気が乾燥していたのか喉が少し痛くなり、薬局で喉の薬を買って飲んだ。
遊ぶ人にやさしい・・・何でも遊ぶところがあり、面白い。空から陸、海万般にわたって遊べる。私たちはパラグライダーで1ヶ月遊びまわっていたが、拳銃の射撃も人気がある。遊ぶにことかかない。なんでもあ〜る。料金は日本とほぼ同じ。

高齢者にやさしい・・・ハワイは高齢者優遇が非常にすすんでいる。高齢者を大事にする。バスでもお年寄りを見かけたらすぐ座席を譲っている。車椅子のまま乗り降りできる。運転手もやさしい。高齢者に優しいのは当然だという顔をして当たり前のように対応する。長い滞在中一度も不愉快な光景は目にしなかった。素晴らしい。65歳以上は220円のバスなど、タダ。島中どこへ遊びに行ってもタダ。それが日本人にも適用されていてパスポートをもって無料乗車券を発行してもらった。手数料は1200円かかるが、4年間の写真入り無料乗車券を発行してくれた。このおかげで滞在中交通費はタダ。ドンキーへ毎日買い物に行き、東から西まで乗ったり降りたり自由自在。最初は「申し訳ないナ〜」と言う感じで頭をペコリと下げていたが、現地人は首にぶら下げた無料乗車券を無造作に運転手に見せ当然のごとく乗っている。それでも私は乗車券を上下逆になっていないかを確認し、いつも外出時にかけているサングラスをはずして写真と照合しやすいように見せてペコッとお辞儀をして乗っていた。これは1ヶ月間続けた。私はハワイ州になにもいい事をしてあげていないのにハワイは65歳以上の日本人を厚遇してくれていることに対しての気持ちを表そうと・・・ゴルフも1ラウンド400円 むちゃくちゃ安い。長期滞在の証明書をもらうと18ホール400円、高齢者でなくても現地の運転免許を取得した日本人も同じ。一人でぶらっとゴルフ場へ行き遊んで帰る。1ヶ月に10回だったか 回数の限度はあるが日本人がゴルフ場へ殺到している。病気も自然になおる。寒い、高い日本から脱出して暖かいところで毎日ゴルフをしているとストレスがなくなり、高血圧、高コレステロールなどどこかへ行ってしまう。日本のゴルフ好きな高齢者の天国です。ちなみに実際日本人のゴルファーを多数見かけた。女性も多い。400円で遊べるから、すれ違う人の顔も「今日も1万円もうかった〜」というような笑顔満開です。ゴルフセットは日本から持って行って、カートは現地で調達しているようです。バスは相当大きな荷物でも持ち込むことが出来ます。私たちパラグライダーの機体もOKでした。


日本人にやさしい・・・ハワイから帰った人に印象を聞けばほとんどの人が「エエとこだった」と答える。その最大の理由は日本人が過ごしやすい、生活しやすいさまざまな工夫があるから滞在中日本で暮らしているのと全く変わらない生活ができることです。まず食材ですが日本の八百屋、食料品店に売っているものは何でもあります。値段は日本と同じ程度。米や肉など日本の半分ぐらいの価格もあります。その代表格が「ドンキーホーテ」ダイエーがつぶれたあとの建物を使って日本人向けに作ってある大型量販店です。着るものは何もいらないわけだからおいしいものを食べられるので、最高です。

治安がよろしい・・・交番も親切で建物の外には道案内をしてくれるボランティアの現地人もいるからなんでも聞ける。
警察官に聞く前にむこうから声をかけられるので助かる。日本の交番相談員に似ている。
街頭で勤務している警察官の1人が左腰に拳銃をつけていたので聞くと「私は左利き」だと答えた。
日本の警察官で左に拳銃を持っている人は見たことがない(左利きの人は右腰から銃を取り出し持ち替えて左手で撃つ。)
ハワイの警察官はどちらに拳銃を持ってもよい。すばやく対応できる側に着装するのだそうだ。
アメリカ社会の合理性がこんなところに現われている。

夫婦で長生きできればそれにこしたことはありません。
同じような趣味を楽しめたらなおさら楽しい晩年を過ごせるでしょう。
喜寿が1つの目標で、それまでは旅行したり、趣味を楽しんだり、したいことを何でも楽しめます。
私達も今がその真っ最中で国内旅行も北海道だけでも60泊以上していると思います。北海道から九州、沖縄までほとんど行き、外国もよく出かけてました。まだ行きたいところがあり、これからです。
キャンピングカーで全国をくまなく回るのも夢です。2年後に中古でいいので買いたいと思っています。

それはそれでいいのですが、あと10年もせずに日常生活に不便を来たし、運転もままならず、行動範囲が制約される年齢に達します。その時期を自分らしく生きられるか?その準備に「隠れが作り」を始めました。

さかのぼりますが、私は59歳で仕事をやめました。なんとか生活の目途もたったし、仕事もマンネリ化して新鮮味がなく勧奨退職を希望していたのです。

都会と田舎の二地域居住が夢だったのでやめる数年前に丹波の田舎に古民家を買いました。趣味の木工 陶芸 パラグライダー などをするためです。

その家からテークオフを眺められるので、パラグライダーを楽しむには最高の場所でした。工房も作り、そこで木工や陶芸ができるように電動工具を入れ 陶芸窯も作った。わずかな家庭菜園もある。
この青垣での二地域居住(11年間)は快適でした。田舎育ちの私は神戸駅前で育った妻にさぞかしいきいきと写ったに違いない。が、間もなく閉鎖します。

私は「終の棲家」について考えることがあります。

晩年、身体が動かなくなるまで過ごす場所と 何をして過ごすかを考えていました。


丹波の古民家は片道1時間半かかり行き帰り次第に苦痛を感じだした。パラグライダーは足腰丈夫なうちはいいけれど、70歳を目途にやめようと思っている。その判断は「机の高さから飛び降りることが出来なくなったら限界」を自分の判断基準にしています。
で、そろそろその時期が来たようです。

そうなると当然 神戸の家の近くで晩年を楽しく過ごす場所を確保し、準備をしておきたいとかねがね思っていたところ、手ごろな場所を確保しました。そこは永年放置されていた宅地で竹や木が繁っており開墾から始めなければならない。
 そこを桃源郷にして、10年 あるいはそれ以上、そこで夫婦でコロコロ遊び 趣味を楽しみたいと願っています。ここを晩年の私達の隠れ家、桃源郷 御用邸にするのです。名前はまだ決まっていません。なんとか庵とか なんとか荘 になると思います。

今は長生きが出来るようになった。定年後30年がホントの人生。この時期をいきいき過ごしたい。

なかでも車の運転がおぼつかなくなる頃から身体が動かなくなるまで、年齢で言えば75歳ごろから90歳ごろまでの期間の日常生活をどう過ごすか・・・大事なことです。

75歳以上の年齢 政府が言う後期高齢者です。この年齢になると必然的に運動能力が落ち、介護の世話を受けることになり、人口に占める割合も増えて、現在で間もなく1割を占めます。2020年には2割に達しその後も増え続けるのです。介護を受ける割合も75歳〜1割 80歳〜2割 85歳以上は5割に達し、90歳以上ではほとんどの人が介護を受けることになります。都市近郊の住宅団地は入居時期の年齢層から街全体が老人介護の恐山になり、私の西神ニュータウンも名前を変更しているかも?大阪の千里ニュータウンが先例で、介護に必要な、人材と箱物がどんどん必要になる一方 税収は下がり自治体の負担は増えるばかりです。
このような超高齢者社会のさまざまな現象を背景に生きることになります。
社会はそうですが、最小単位の夫婦 家族もこの流れの中に身を置きます。超高齢者が社会からうとんじられ 自身も疎外感を味わうでしょう。

まさに、その夫婦、その人の真価が問われます。 「終わり良ければすべて良し♪」としたいものです。

少し回り道になりました。
このような実態を直視しながら、自分たち夫婦のその時期をどう過ごすのか?その準備を始めました。

私の隠れ家作りがスタートしました。完成は5〜10年後でしょうが、遅くもなく丁度いい時期に開始したことになります。

その隠れ家では、工房を作り、木工 陶芸 などをします。家庭菜園 果樹園 ガーデニングを楽しみ、椎茸園や 池を作ったり、ツリーハウスも夢見ています。少年の頃の夢実現です。
隠れ家では作品を並べ、薪ストーブのある冬を過ごします。などなど夢いっぱいですが、その何割を実現できるでしょうか?出来ないのでしょうか?
身体は日毎に弱り、行動範囲がせばまる中で、将来の楽しみを夢見るのが半分、病気・不自由・あきらめを実感するのが半分で日々過ぎるのでしょう。そう言えば以前私のHPエッセイで 「ほとんどの老後は幸せでないことを今から十分認識しておくことが大事である。」と書いたことを思い出します。

出来なかっても、その夢へ向かって進む日常が楽しいし、子供が引き継いでくれると思いますが、事情でそうならなくとも同じような趣味の方が次代へ引き継いで下さると思えばそれで満足です。

定年後このような生き方をした1つの例を提供出来たことになるでしょう。

定年後まもなく10年を迎える。定年の少し前に青垣で古民家を購入してパラグライダーを楽しみながら木工や陶芸、家庭菜園やシイタケ栽培などなど楽しんでいました。これがいまはやりの「二地域居住だ!」とばかり、退屈すれば神戸へ帰り、また、1人が良くなると青垣へ行き広々とした風呂へ入り、単品のおかずと炊き込みご飯で夕食をいただくのが何よりの幸せでした。

ところが、最近、パラグライダーもこの先何年も出来ないし、片道1時間半の運転がおっくうになってきた。途中で眠たくなり少休止している。睡眠不足で眠たくなるのではない。今のうちに神戸の家の近くで遊ぶところを確保しておく必要にせまられたわけです。いよいよ遠大な作業が始まることとなりました。

表題の「少し遠い将来を見て暮らす・・・」ですが、歳をとると 今日、明日のことに思いを致し、数年先のことは「神のみぞ知る」で、考えが及ばない。まして10年先 20年先のことなど考えなくなる。体力はともかく、年金中心の収入も固定し、いわゆる「将来像の枠組みが見える」ようになるから、今の生活に満足しつつ、さらに何がしかの楽しみを得て暮らしたいとの夢を持つ。近場の幸せで満足する。

そんな自分も、今回 果樹を植えるに及んで、遠い将来の楽しみを夢見て暮らすことの重要性を感じ「長生きをしなくては〜」とまじめに考えることとなった。

みかん類に限らず多くの果樹、観葉樹木 などをこれからどんどん植える予定だが、これが将来に具体的な楽しみを持たせてくれる。
生長がおそい果樹は、遠い将来に思いをはせてその光景を思わせる。
5年先にはおいしいみかんが食べられると思うだけで、うれしくなるもので、自分の単純さにもあきれる。隠れ家を作り 工房を作り、茶室まで作ろうと広い敷地と格闘中で、2〜3年で出来るものではなく、10年以上かかる。
晩年忘れた頃子宝に恵まれ、この子のために元気で長生きをしなければ・・・との思いに似て この計画のため、早くは死ねないのである。

定年後は自分らしく生きよう・・・を柱に、したいことをしてここま で元気で生きてきた。90歳まであと21年余、いよいよ磨きをかけ て老い仕度に突き進むことになる。古希を迎える男が客観的に自分を 見て、簡素な生き方をしたい。
定年後交際範囲を少なくした。これが良い。人間嫌いで有名なミケラ ンジェロは決して自宅に他人を入れなかった。小説家や芸術家に多く 、女性より男性に多い。そして男性も加齢に従い人間嫌いとまではいかなくても孤独を好む。多くの 動物も同じだ。私も仕事を辞めてから前の職場の人とのつながりを切 り、年賀状もやめてスッキリと暮らしている。その後あの人がどうの こうの・・・の話題は大嫌い。いつまでも前職をひきずっている人を みると そのしがらみから脱却しろ・・・と言いたくなる。
さて、本題の定年後のスタイルだが、元気なうちは職歴を生かし小遣い程度はかせぎたい人、趣味を楽しみ余暇を楽しむ人 地域のボランティアなど社会とかかわり続ける人、あれこれ挑戦する人 出来るだけ静かにエネルギーを使わず読書、テレビ、公園散歩、孫の世話、庭の手入れなどで日を過ごす人などいくつかのパターンに分けられる。
私は一貫して趣味を楽しんで来た。これからも変わらない。私のスタイルで過ごす。

ネットで同様の考えを持っておられる人に出会ったので紹介します。

定年後の人生について、現在いくつかの原則を立てている。
第1に、世のため人のための活動はしない。市民運動も住民運動も、ましてや組合活動もしない。
いままで40年以上、ひたすら世のため人のために活動してきたのだ。のこり30年足らずの人生は、自分のやりたいことを自分のためだけにやる。つまり目いっぱいわがままに生きる。
第2に人づきあいは極力回避する。極端なことをいったらつきあいは家族だけでよい。わたしは生まれながらの単独者であり、離群性の性癖なのだ。根っからの人間不全でもある。
組合活動にしろ市民運動にしろ、人間相手の活動ははなから性に合わない。それをいままでムリをしてやってきた。そのことを60年の人生を生きてきてしみじみとわかった。
これからは自然や動植物相手に過ごしたい。野山を駆けめぐり、野の動植物を追いかけ観察をするのだ。思いおこせば、10代までの多感な時代、私はやはり単独者であり続けた。そして自然や動物を相手に暮らしていた。
あの時代に再びもどるのだ。
第3にカネを得るための仕事は一切しない。家族のために30年以上働いてきたのだ。年金は65歳まで満額もらえない。だがそんなことはたいした事はない。収入が少なければ少ないなりに質素に生活すればよい。(時代を駆ける 館崎さんのエッセィから)

昨日、車に乗って交差点で信号待ちしていた。何気なく前を見ていていたら初老の男性が歩いていた。横断歩道なので当たり前の風景なのだが、その姿が忘れられない。昨夜寝ていても脳裏からはなれない。反復して思い出してしまう。
まえかがみで右手に買い物袋(ビニール袋)をぶら下げてとぼとぼと消え入りそうに歩いておられた。何か、深い悩みをかかえておられるのかもしれないが・・・
「歩く姿勢は生きる姿勢」といわれている。歳をとるにしたがって、どうしてもしょんぼり、トボトボと歩くようになり、癖になってしまう。背筋を伸ばして胸をはって歩くように心がけたい。歩く姿勢が悪いと貧乏神もよって来る。老後の生活は幸せいっぱいとはいかないらしく経済、家庭、健康、などなど、悩みも多くついついトボトボ歩きの仲間になってしまう。高齢者の多い日本は、トボトボ歩き国にならないように、胸を張ってあるく運動が必要だ。外国人の旅行者に不思議がられないように。
歩く姿勢は生きる姿勢なんだから胸を張って歩きたいと思った。

8月15日に発生した墜落死亡事故の後、いや〜ナ雰囲気になり、飛ぶ気も減退していたが、23日の日曜日、青垣スカイスポーツ運営協議会主催で勉強会の名で事故防止検討会が行われた。
これで少しすっきりした。
これまで岩屋では2件の死亡事故があった。これで3件目になるが、いつもいっしょに飛んでいた友の死はいたたまれない。
周囲もうるさく、もう歳だし止めたほうがいいのではないかと苦言だらけ。「パラグライダーは安全なスポーツや・・・」と言っていたのに
今回の事故でチト水をさした。今までの2件の死亡事故と様子が違ったのである。ベテランのパイロットがランディング直前、5メートルの高さから墜落し全身打撲で死亡した。この事故はただちに明日はわが身なのである。ベテランパイロットが落ちるということはそこまで技量が行っていない者にはもっと危険なのである。
だからショックは倍増した。一体どんな状況で事故は起こったのか?
事故の状態が知りたかった。知って、自分で納得しないと次に飛ぶ気にならなかった時、今回の勉強会はよかった。
両スクールの校長から事故内容やどのようにしたら事故を回避できるかの話を聞いた。格調の高い良い話が聞け感謝している。

今回の事故で亡くなった方とはもう10年来一緒に飛んでいるクロカンパイロットで乗っていた機体はグラジェントのコンペ機仕様。
当時南風で穏やか、スクール生も飛んでいた。ランディングすべく佐治川上空5メートルで突然機体がつぶれ、立ち直る間もなく川原に墜落し全身を強打したものだが・・・原因については明確でないようだ。何かが原因でストールに入ったのかもわからない。高度が低く上級機であったことから回復する間がなかったようにも思える。何に起因してそうなったのか?

1つには川原の土堤が起因して風を乱し機体の安定を害した可能性もある。
土堤は思ったより高いので風の方向と強さによって結構乱気流を起こす。ひょっとしてランディングに届かないかも判らない時川原へも降りられるように土堤の上を進入することが多い。届けば左のメインランディングへ、届かなければ川原へ、また、土堤の上が小さな滑走路に似て、そこへも降ろせられる。このわずかの空域で今まで何人も怪我をしているのは土堤の影響だと思われ、さっき言った風の方向、強さを良く見ること、そして、ショートしている人を見かけたら土堤から離れてアプローチすることが大事。川原に降りるか田んぼに降りるかを決めて土堤を避けたほうが良さそう。
機体が突然メチャクチャに暴れだした時、落ち着いて万歳すること。機体はもとへ戻ってくれる。なおそうとして悪循環になることが多いので万歳が最良。
メチャメチャに暴れだした時はブレークコードが軽い。軽いから恐怖でつい引きすぎた状態で肩より下で保持することになるが、こうなればすぐストールする。暴れだしたら両手を万歳することが鉄則、今の機体は必ず回復します。

妻が今月、3年間通ったシルバーカレッジを卒業する。あっという間の3年間だったらしい。卒業旅行やら作品展やら一人前の行事がある。なかでも「グループ学習のまとめ」と題した600ページにおよぶ総合芸術12期生の集大成は事務局も大変なご苦労だろう。3年間の学習のいろいろが載せてある。その中に「ドライポイント私の顔」と題して妻の記事があるので紹介する。

《60歳になりました。太っているせいか少なかった顔の皺も、近頃、年相応に増えてきました。でもよーく見ると縦皺がない。いつも笑って、幸せに生きて来られた証。振り返ると、私の不幸は、14歳で父を交通事故で亡くした事位です。22歳で学生のまま結婚し、一度も社会の荒波にさらされる事無く3人の子供達もいい子に育ってそれぞれに良き家庭を持ち、孫も5人。賑やかに集える日々が度々あり、嬉しいことです。良き友に囲まれ、好きなことだけしている毎日、その上、カレッジで個性的なお友達にも出会えました。いつも主人と話します。「幸せやネ。こわい位。禍福はあざなえる縄の如し、気をつけよう。」と。健康に産んでくれた両親と、楽しくさせてくれる友達と、そして何よりストレスのない幸せな日々を送らせてくれる主人に「ありがとう!」感謝、感謝です。私のまわりのすべての人々に「これからもどうぞよろしく。」》

この文章を読んだある人が「そう思ったり、感じたりしているあんたが本当は偉いんですよ・・・」・・・と言ってくれたらしい。
妻は明るくて屈託がない。怖そうに見えるがやさしい。健康だがちょっと太りすぎで子供から「ヒデブ」と呼ばれていた。木彫りを長年していたが陶芸や木工も好きでその上今回の絵だ。絵は同級生のなかでもぬきんでて下手だと自分で言っている。これは私も同意見だ。
いろいろと楽しみ、今回の卒業となったが、今度は県立のいなみの学園へ行きたいらしく申し込みしているが抽選でどうなることだるうか?行くようになればまた忙しさに拍車がかかる。バトミントンや卓球も続けているが、なんで痩せないのだろうか???

暑かった夏も過ぎ少しずつ秋らしくなってきた。
古希の年代を過ごしている今、また良からぬことを考えている。

これからの晩年はつるべ落とし 猛スピードで老化して行くことは目に見えている。予想していたよりも急激に老化しているように思う。

今までは歳なんか意識していなかったのに、先が短いことを実感しだした。
すでに足腰が痛くなる兆候が現れてきた。
このまま歳を重ねて平穏に過ごすのも良いが、行きたいところがある。キャンピングカーを買って秘湯めぐりと陶芸窯元めぐりをしたい。
あとで後悔しないように少しばかりの背伸びをしたい。

70になってからあちこちへ行きまわるのはやめときなはれ〜と言わ
れそうな気もするが、あとで後悔しないように挑戦したい。

3年前から作っている山の家も建物本体は完成した。後は果樹園作り、庭、作業場、駐車場、薪置き場、バーコラ作りなどの仕事があるものの、先の見通しは立ってきたし、今しかできないことを実行したい。

今まで多くの趣味を楽しみ、ホームページで発信して来たが、最後の
数年を全国の温泉まわりと家内の望む陶芸の里めぐりを追加したくて
キャンピングカーを買うことにした。
狭くても台所と寝るところがあれば快適できままな旅が楽しめる。
足腰が丈夫で運転も何とかいけるこの時期をのがしてはならない。

趣味・飾り

カードが増えて困っている。あまり有料道路を通らないのでETCは必要ないと思っていたが無料で年会費不要となると付けないわけにはいかない。宣伝に乗ってYAHOOのETCをつけた。高速道路の渋滞解消と集金業務の人件費削減に寄与してやった。これでまた2枚のカードが増えた。カード時代と言われてから長いが遅れていた私にも財布がポンポンになっている。量販店舗や銀行、クレジット会社などがどんどん増える。「メンバーカードをお持ちですか?」とレジで言われるのもすかん。
それより、最近診察券が増えて困っている。診察券入れがころんころんするので一部出している。家内と私のカードだけでこれだけだから大家族では大変な数だろう。「忘れないように持っていかなくては・・・」と思ってわざわざ取り出していておき場所を忘れてストレスが溜まることもある。一度しか行かない病院でも立派なカードを作ってくれる。
まだある。インターネットを利用しているとHPや掲示板のパスワード、ユーザーIDが増えて増えて悲鳴をあげている。ダウンロードするたびに勝手に長〜いパスワードが付いてくる。商品にはシリアル番号がついてくる。最初は小さい手帳に書いていたが、いまではどれがどれかわからなくなった。忘れていたのをやっと探し出しても今度は「誤入力です。」という。まあまああっていれば大目に見てくれてもいいのにと思う。
迷惑メールも増える一方。削除、削除で日が暮れる。漫才や落語のネタになっているがこれらもストレス症候群の一翼をになっているのだろうか?老化が進んでいる。家内も体重を減らすためあれこれ神経を使っているものの増えている。

又八クラブ

このページは追加していきます。

定年後・エッセー集

昨年5月に岩屋で死亡事故が発生、6日間の捜索活動が繰り広げられました。日本のパラの歴史上初めての大捜索で、社会的な反響もあり詳細な公式事故調査がJHFの手でなされたはずです。当時数人が事故調査に来られたことも聞きました。調査は機体の強度などなどの項目を第三者機関に嘱託してもこんなに長期間はかからず、みなが気にしている公式事故報告がとっくに発表されていいのではないでしょうか。同じ頃の事故が早々にJHFのホームページに登載されていることからもわかります。岩屋の事故はもう発表されないのでしょうか?
 JHFの下村 孝一会長が新年の挨拶で事故防止の啓蒙について
「・・・JHFの希望は、安全な飛行・フライヤーの増加・JPAとの協調の三つです。
安全に関して、昨年の重大事故は2件に止まりました。今年もスクール通信など機会あるごとに啓蒙推進を行い、ゼロを目指します。・・・
10年に亘るフライヤー減少に歯止めが掛かりません。生徒→お客様、教員→インストラクター、飛ばせてあげる→飛んで頂く・・・意識の変革が求められている時代のようです。・・・」
と述べておられます。パラは危険なスポーツであると言われますが、無理をせず技量に応じて慎重に飛べば安全です。私は13年無事故で楽しんでいます。が、他のスクールの事故も気になります。事故がどういう原因で発生したのかを知り、自分はそれを避けられるかどうかを推測しフライトに生かしたいからです。
私の捜索記録のページに
「おっつけ事故の総合調査結果も明らかになり対応策が検討されると思う。二度と事故を起こさないように一人一人が安全フライトについて再確認したい。」
と書きました。「おっつけ・・・」がもう8ヶ月も経過しています。JHFさん、早急に事故の公式調査結果を発表してください。そして今後とも事故防止の啓蒙活動をお願い致します。

26 JHFの事故調査発表を求む

30 林住期と自立

31  ポン友とは

昨夕は巨大な雷でビビッタ。雷の現れるパターンは入道雲に比例し徐々に大きくなってから次第に遠のくのだが昨夕は急にドカーンと来た。ゴルフ場でもよほど気をつけないと・・・その雷でびびったあとで食事中、歯で唇を咬んだ。歯は食べ物を細かく砕くのを使命としているのに自分の唇を咬んでどうするんだ!!雷のことを考えたり、今日のフライトのことを考えてニンマリしていて意識がそれていたことは事実、そういえばこの前も唇でなく舌を咬んだことがあった。脳幹細胞がおかしくなっている。咬む神経は脳幹の皮質から出ているらしいが、この神経はもともと食べ物を得る為の活動を活発にしており、神経は食べ物に向いている。動物は食物に向かって進み、視覚、聴覚、触覚、臭覚など活発に働くが、一度口の中へ入れてしまうと神経伝達は驚くほどおそい。食事はゆっくり戴くタイプとせわしなく食べるタイプがある。子供のころから落ち着きがない私など、がつがつ食べる部類に属しそれが時々唇を咬んで痛がっている原因かもしれないのだが、このところ何度もそんなことがあるので認知症が進んでいると判断した。冷蔵庫から氷を取り出し冷やすことに専念しながら改めて歯は凶器であることを認識した。歯が凶器でなくなるころは(総入れ歯)人生も終焉、気をつけましょう。と思いながら、こんどはコレステロールの薬を飲んだのか、まだ飲んでいないのか瞬間わからない。毎晩一錠飲んでいるのに、雷なんかのことを考え考えしているとつい、飲んだのか、飲んでいないのかわからない。ウ〜ン、確かに進んでいるワイ。今朝なども食べようと思って電子レンジに入れてチンし、そのまま、食事を終えてなんか忘れているように感じて思い出した。三拍子揃えば立派な認知症と認定しました。

33  カードが増えて困る

39  定年後の交際

1 定年後30年ある

29 山小屋暮らし13年の満たされた生活

35 いちじく

36  背筋を伸ばして

40 ネットは現代の玉手箱

44   75歳から90歳までどう過ごすが?隠れ家作りを始めたわけ

 今どき、90歳まで生きられる世の中になった。90歳といえば定年後30年ある。自由な時間がそれだけある。この30年をいかに楽しく自分らしく生きられるかということが定年後の課題である。還暦を祝ってもらってからは、孫と公園で遊び、好きなテレビを見て、至福の時間だ、と言っている場合ではない。もったいない限りだ。この「定年後30年ある」という認識は出来るだけ早くしっかりと自分にいいきかせてそれなりの準備をしておく必要がある。それなりのそれとは何かといえば趣味と経済的な裏付けだ。間違ってもどちらかが寄りかかり、まとわりつく「濡れ落ち葉」夫婦にならないことだ。第一生命のサラリーマン川柳の中に「定年後 犬もいやがる五度目の散歩」というのがあったが、犬にも相手にされなくなる。

ある人のブログにこんな書き込みがあった。
「その犬は、大型犬で、毛の色が白く、雑種のように見受けられる。いつも、うつむき加減で、しょんぼりと歩く。散歩に連れ出されるときは、玄関の段差に前足をかけて踏ん張り、「散歩はヤダヨー」と抵抗を見せる姿が痛々しい。出勤時、営業に出る時、営業から帰った時、退社時、いつもうつむき加減で、しょんぼり歩く犬を、私はもう何度見かけただろう?お爺さんは、朝から晩まで犬を連れて近所中を歩き回っている。断言しよう!あの犬は、散歩が嫌いだ。散歩のし過ぎでクタクタなんだ。過ぎたるは。。。ですね。」

もとに戻るが、自分が自分らしく生きるためにはどうすればいいんだろうか?過去の仕事を引きずらず切り離し、趣味と友と前向きな姿勢だ。趣味は出来るだけ創造していく、作り出していく趣味が良い。友は気のあった数人おれば十分である。嫌いな人とはつき合わない。一人で楽しく生きられるよう自己主義をつらぬくことだ。「定年をすぎてからは余生を楽しんでいる。」と言うが、この考え方は間違っている。定年後はむしろ本生(ほんせい)なのであって、今までが本生のための準備期間、いわゆる予生(よせい)であったのだと思うべきである。定年後が本当の自分の人生。他人のためでもない、社会とか世の中のためでもない、家庭のためでもない、自分のために自分で生きなければ充実と満足はない。有り余る時間を有効に使い悠々自適な本生を過ごそうではないか。

27 田舎暮らしに思う(稲作)

28 二地域居住居住

32  認知症が進んでいる

34  気楽に生きる

37  敬老優待乗車券

38  岩屋山フライト安全教室に参加して

41 シルバーカレッジ卒業

42   O8年の回顧 

43  ハワイ旅行に思う

46 定年後の3原則

47 今しかできない気ままな旅 キャンピングカー

このページ 終わり

2 他人に煩わされるな

 在職中はどうしても自分の思いどおりにはならず、ストレスがたまるばかりであった。組織は個人をある分野で犠牲にする。嫌いな仕事もしなければならないし、にがにがしく思う人とも表面上はうまくつき合って行かなくてはならない。いわゆるこれが組織の抑圧となって重くのしかかる。階級社会であればなおさらである。何とか定年まで来られたのも運が良かったのだろう。胃にも穴が開かず持ちこたえた。
 定年後はもうそんなことに一切とらわれることはない。他人のことに煩わされないで自分の心を平安に保つのだ。気のあった仲間とだけ交際し、好きなことだけやっておれば良い。自分らしく生きるためには必要要件だ。人間関係は難しい。聖句に「明日のことを思い煩うな・・・」というのがあるが私は明日のことを思い煩ったことよりも他人のことに煩わされたのが多い。だから、手帳の表紙の裏には「他人に煩わされるな、心平安で過ごしなさい。」と書いている。ついでだが、その下には、「満たされた平穏さの中に身を置きたい。」「困ったことは起こらない、すべてうまくいく。」と書いている。2番と3番は年毎に変わるが1番上はここ10年来変っていない。私は、人間関係に悩んだときは、いつも「他人に煩わされるな、心平安で過ごしなさい。」と口の中でつぶやき自分を落ち着かせ、平安を得ようとしている。

3 脳のためにしてはいけない6カ条

 日本実業出版社の「60歳からの趣味達人」を読んでいたらその中に北杜夫医学博士の挙げる、脳のためにしてはいけない6カ条が書いてあったので紹介すると
@  休日に家でゴロゴロしないこと。
A  便秘を長引かせないこと
B  長時間テレビを見ないこと。
C  イライラを避けること。
D  タバコはほどほどにすること。
E  酒をのみすぎないこと。
これを読んで、まず、脳のためにしてはいけないことだから、何もせずに怠惰でテレビをつけてボーっとし、長年の習慣であるタバコ、酒もチョイトやり、これではいけないと反省している姿が脳に悪いことはわかっている。脳が活動停止しているのだから老化はまぬがれない。しかし問題は便秘だ。便秘がなぜ脳に悪いのか?これがどうも解せない。書いた人が医学博士だから、医学的なのだろう。どなたか、わけを教えてくださる人はいませんか?そこで、ちょっと調べてみた。
ひとつの見解は、
便秘の患者には頭痛・肩こりを訴える人が多くみられます。
また、食欲不振、舌がザラザラする、口が臭い、めまい、ふみん、疲れやすい、イライラなどの症状もよく耳にします。
便秘とこれらの症状との因果関係ははっきりわかっていませんが、悪玉菌によって生じるアミン類には自律神経に対する毒性があり、その為に自律神経の働きが乱れて、こうした自律神経失調症の症状が発生するのではないかと考えられます。

また、次のような意見もあります。
老人の便秘は一般に頑固ですが、そのなかには長い間便秘が続いたため大腸が太くなっている人があり、この治療も下剤だけでは解決されませんので注意が必要です。
旅行をしたり、転勤したりすると、環境の変化に身体や頭がついて行けず便秘になる。大腸の働きは精神神経の影響を強く受けるので、胃の病気の多い日本では、胃が脳の支配を受けていることが強調され、西欧では、腸の病気が多く「大腸は精神の鏡」と言われ、精神のつながりが多いことを強調しています。

こうして、調べてみると便秘が直接脳に害悪を及ぼしているのではないが、深くかかわっていることがわかりました。

4 生き方の軌道修正

 定年後は自由な自分の時間を過ごし、在職中に出来なかったことに挑戦したり、新しい趣味の分野を開拓して工夫して自分らしく生きることが大事だ。寿命がいつまであるかわからない。それは天のみが知ることだ。体は、若い頃のように頑健とまではいかなくても、どこも痛くなければそれで幸せ・・・と思って暮らしていきたい。死因のうちガンが増加しており、不気味に忍び寄って来ているのかもわからない。ガンは恐ろしい病気だ。人生これから、という肝心なときに突然やってきて全てを奪う。「まさか自分は罹らないだろう」の、そのまさかがあてにならないのである。人生のうち、満ち足りた幸せな時期はごく少ないらしい。不幸にもガンにおかされたらどう考えたらいいのだろうか?滋賀県の西上さんの闘病記録の中にこのような文章があった。

   私は、命に関わる病気に罹っていても、本当は心の奥深いところでホッとした
  感じを持っていた。一日中、必至に働いて、自分を見失うほど頑張っても、達成
  感のない仕事量と質。人間関係の憤懣、伴うストレス。心の底ではもう完全に疲れきっていた。本音は「もう静かに休みたい。生き方を変えたい。」と、いう願いがあった。しかし現実は不可能と思いこんでいた。ガンを患ったことで絶望の淵にいても「解放された。」と、いう思いが心の片隅にあった。ガンの患者学サイトの中に「病気というものは『身体の叫び』であること、言葉という表現手段を持たない身体は、病むことで本人に生き方の軌道修正を必至になってメッセージしているのだ 」・・・という解説があった。

 氏はご自分のホームページを通じて多くの人に勇気を与えてこられた。許可を得て 登載させてもらった。
               氏のホームページはAkira's HomePageです。

5 ホームページとノイローゼ

 ほぼ、1年がかりでホームページを立ち上げた。気が向いたときだけさわっていたがそれでもやっと出来たという感じだ。今度はカウンターが気になりだした。自分の成績表を見ているようで何件増えたかが関心事になった。今は680件だが今後どうなることやら。
 このホームページを作るにあたりその内容がどうなのかが一つの課題で、もう一つはプライバシーの開放が心配だった。ホームページの内容については木彫り、陶芸、木工などのほかパラグライダーもある。陶芸では築窯日記も1ページ分ある。実際、私が築窯するとき多くのホームページを参考にさせてもらったから、私のも参考にしてもらえると思う。だから内容的には何とかあるので、これらを紹介しながら定年後の夫婦の暮らしの一つの例をとりあげられる。しかし、次にプライバシーのことである。個人でホームページを作っている人はその内容にもよるが、多分徐々にではあるがその人の考え方、家庭の様子、人とのつながり、経済的な様子など、どうしても世間に知らしめてしまう。相手を選ばずに一方的に知らせてしまう。いわゆるプライバシーの筒抜けである。しかし、これはある程度は仕方がないことで、失うものあればまた得るものあり・・・であきらめた。
 そろそろと取りかかったが、ずぶの素人で、容量、その他の点でウインドーXPを入れるように勧められ、そこからの出発である。二ユージーランドのKOさんから、「ホームページを作っていてノイローゼになった人がいますよ」と警告を与えられた。本当にそうだった。ホームページビルダーで開始したがその説明が解らない。丁度その頃家内の友人が教室に習いに行っていたので聞いてみると「その本の通り初めから終わりまでやってみたら」とのこと。この本の説明も不親切なところが多く、最初2冊で出発したが、追加で3冊買うはめになった。前に進めなくなったとき、聞く人もなくあきらめてすごし、本屋で偶然違う本を見るとそこには説明書きがあったりして、本の編集に腹が立ったり作製中に誤って削除してしまい又初めからの繰り返しで、怒りのやりばがない精神不調だ。そんなことをやりながらも、インターネット上に親切な人がおられて労をいとわず質問に答えて下さるなど助けられた。
 そんな、こんなで、完成して、今は、カウンターを気にしながら色々と楽しんでしる。
 定年後、独学でホームページを作ったことにより、ネットの仕組みや検索の方法など知らないことが次々に解り、収穫だった。まだやってない人には、この未知なるインターネットを利用しないのはなんとももったいない話で、定年後は大いに利用するように勧めている。このホームページが将来に夢を与えてくれるような漠然とした。、期待を持たせてくれている。

6 年金生活者

 「年金生活者」という言葉は本当にいやな言葉だ。年金だけで細々と暮らしていますというような感じがする。今後年金は次第に減額されていくことが決定した。今でも年金だけで生活出来ないのであるから、定年を間近に控えている人はもちろん相当若いときから準備しておかないと老後がみじめになる。まず、掛けた金だけは取り返さないといけない。これが、12〜3年はかかるらしい。元を取り戻さないと死んでも死にきれないがとった後は国の寄生虫のような感じになってしまう。政府だって早くくたばってくれた方が財政上良いと思っているに決まっている。前向きに生きられなくなった本当の老後はそんな意味でも心寂しい。家族や子供からも疎んじられるようになるとなおさらである。老後の幸せは、健康、趣味、経済、家族、友人だが、しかし、ほとんどの老後は幸せでないことを今から十分認識しておくことが大事である。
 前後するが、是非とも年金だけに頼らずに、国に頼らずに十分やっていける経済的な基盤を作っておきたい。また現実にそうされている人を多く見かける。お金に困らないから屈託無く生きていける。そうなりたいものだ。
 

7 田舎暮らし

 定年後、田舎暮らしについていろいろ考えさせられる。40年近く都会で生活していると、生活の基盤が出来ており簡単に切り離しがたい。私は、岡山県の北部、作州宮本村の隣村の出身で、本籍地には親兄弟がいるが、定年後故郷へ帰ってゆっくり暮らそうとは一度も思ったことがない。年金をもらいながら、食料は自給出来るのであるからゆっくり暮らせるはずである。加えて親戚や幼友達も多い。しかし充実した定年後が故郷に待っているとは思えなかった。浮き上がってしまいそうで浦島太郎はなかなかにむつかしいのだろうと判断した。田舎暮らしは、@ 都会での暮らしに終止符を打ち、財産を処分するなどして出身地の故郷に帰り、年金を主体とした自給自足の生活をする。A 夫婦で信州や、北海道、東南アジアなどに希望の新天地を開拓して定住、又は行き来して楽しむ。 B 田舎に別荘を購入し都会の利便性と田舎の自然の良さの両方を手に入れる二地域居住をする。などのパターンがある。どれが自分や家族に向いているだろうか・・・・・私の場合はBで、これがなかなかに自分にあっており快適な定年後を送っている。インターネットや、出版物では、夢のような田舎暮らしを喧伝しているが定年後の失敗は取り返しがつかないことから田舎暮らしについては色々な事例があるのでそれを良く調べて決めなければならない。故郷へ帰ったものの「こんなはずではなかった」という話はよく聴く。田舎の生活は地味ではなく旅行会、宴会、冠婚葬祭の付合い、老人会、消防団などで月5万円以上が飛ぶ。都会にサヨナラしふるさとへ帰りたいの一念から帰ったもののふるさとは昔のままではないのである。だいたい思い出としてのふるさとなどはもはや存在していないのである。うさぎ追いしかの山にはラブホテルが建ち,小ぶな釣りしかの川は、河川工事でコンクリートになり危険で近づけない。さかななんぞ住める環境にない。いかにいます父母はまだまだ生きており死なない。よろこんで帰ったふるさとが「姥捨て山」になっていく。一番若いのは自分たちであるから自治会の役員は待ったなしで押し付けられる。最初はいいがすぐに馬鹿らしくなっていく。発狂寸前となる。夫婦仲良くなんぞおとぎばなしの世界になる。(記事引用は「大都市団塊85万人の漂流が始まる」中央公論11月号)ついでだが、先にNHKが調査したところによると、高齢化社会の影響で二地域居住はここ10年で倍増しており、今後この傾向は続く・・・と結論付けていた。
参考(7月21日付 日経新聞)から
農水、国土交通など7省の副大臣と官房副長官でつくる「都市と農山漁村の共生・対流に関するプロジェクトチーム」は21日、大量定年退職を迎える団塊世代の「田舎暮らし」支援など都市と農村の交流促進策を決め、副大臣会議に報告した。各省は来年度予算の概算要求に盛り込む方針。
団塊世代の田舎暮らし支援は、都市と地方の両方に生活基盤がある「2地域居住」を実践する人が今後増えるとみて、空き家を活用した受け皿となる住宅の整備を図る。農業を始めようと考えている人のため、宿泊施設を備えた市民農園を整備するほか、自治体が新規就農者向けに行っている農地取得のあっせん事業を支援する。

8  天国とはこんなところ・・・・

定年後、したいことがいっぱいあっても、ままならず、鬱々としておられる方があったら、是非、このホームページでリンクしているニュージーランドの「フライトパークホームページ」をご覧下さい。安田さんという方が開いておられますが、氏はニュージーランドのクィーンズタウンに移住されてからもう15年近くなるのでしょうか?日本では見ることの出来ない、比類のない大自然の雄大さ、小鳥の天国、どこを撮っても絵になる写真。今は、早春ですが「日差しも穏やかで、日も長くなり、鳥たちはさえずり、天国とはこんなところなんでしょう。」と又八クラブの掲示板に書いておられます。
 私たちは、ニュージーランドに住むことが出来ませんが、気持ちだけ、想いだけ住まわせてもらいましょう。氏の素晴らしい写真を見ながら・・・・

9   夢と感動を忘れたくない、望みはやや遠いところに

「もう、老い先短い人生やから・・・」    私の同僚と色々話をする中で、私は「90歳まで生きられる」と自分で思っているのでその前提で話しているが、どうも違うらしいと感じることがある。前記の、もう残りの人生はそんなに長くないのに、じっとしていたら・・・という気持ちを持っている友が多い。自分の残り時間を少なく見積もる人と多めに見積もる人との差がありそうだ。将来のことは個人によって条件が違うからあたりまえだろう。でも、どう考えても残り時間がたくさんあると考えたほうが本人としても恵まれるし、夢も希望もある。こつこつとやっていく楽しみもあって行動力も芽生えてくる。この姿勢が老後には大事なように思う。「残り少ない」と思うと、消極的になって安易に流れてしまうのではなかろうか?たとえ残り一年の寿命だと宣告されても、まだ一年もの時間が残っている、と思い、足下に楽しみを見つけたい。  と思うのだが・・・・?

10  定年後の夫婦

 定年後、夫が第二の職場を見つけて働く割合は50%位はあるのだろうか?私の周囲を見渡せば半分までも行っていないような気がするのだが、・・でも多くの場合65歳前後でそこもおっつけお払い箱になり、子供も独立した後夫婦だけの生活が続くことになる。夫が終日家でごろごろしはじめると妻は自分の平穏な生活を狂わした敵とみて、最初は辛抱もしているが、次々に苦言を呈するようになるだろう。当然である。そのようにならないために、定年を迎える前から妻離れ、夫離れをすこしづつ準備しておくことが大事で、(子離れ、親離れも同じことである。)夫にひっぱられ、あるいは妻にリードされ、自分を見忘れてはならない。夫の陰で生きていたり、妻のあとを追って生きていては自分らしい人生は過ごせない。幸せもつかめない。老後が惨めなものになる可能性がある。特に夫が妻を害する場合が多い。
        
 「五十代の主婦、夫が定年で毎日自宅におり、顔をあわせるのが苦痛です。毎日、好きな料理をし、お酒ばかりを飲んでいます。長年酒を飲み続けているせいで病気をいつも抱えています。昼間は寝てばかりで、出かけるのは病院だけです。
  定年後は旅行や温泉に行こうとか、好きなことをたくさんしょうとよく話していました。そんなのに、まさか、こんな状況になるとは思っておらずとても残念です。
  その上、私が何か一言いうとすぐに怒り出すので、つらい気持ちが増すばかりです。」   (読売新聞、人生案内欄 投書より引用)

 定年後の幸せについて考えさせられる。

11  人生 一つのことにくよくよしない。

 松下幸之助の遺した言葉に次のようなものがあった。   

 自分の思うように行かない、こと志とちがうというようなことがありますね、しかし、それがまた幸せな場合があるわけです。世の中が100とすれば、自分でわかることはそのうちの一つである。99は、本当はわからないのです。後は暗中模索というか手探りですわ。分っている一つで方針を立てても99の面がわからないんやからなかなかうまくいかないことがある。だから僕はこと志と違ってもあまりくよくよしないほうがいいと思うんです。そうでないと疲れますわ、人生ね。(PHP平成17年1月号)

 松下さんはこの文章のあと、尋常小学校を4年で中退、大阪船場の商家に奉公に出てからのことを書いておられる。11歳になったころ大阪預金局で募集があることを聞いた母親が少しでもいいところへと思って変わらせようとしたが父親が首をたてに振らなかった。友達が学校へ行っている姿を横目で見ながら悔しい思いをしただろうと察しがつく。しかし、決して投げ出さなかった。あきらめなかった。その後も苦労の連続で今の我々には想像もつかないであろう。その氏が、「いま思い返してみるとそれが良かった。」「それが、後年非常に大きな力となった。」「人生、何がどうなるのかわからない。」だから一つのことにくよくよしないと述べておられる。振り返ってみるとき誰でも「あの時にこうだったら、」と後悔というか、悔しい想いがあるのではないだろうか?私も悔しい思いや後悔の念がどうしても離れない。心のそこになんとなくよどんでいてすっきりしない。還暦を過ぎてこうして好きなことだけをして暮らすようになった今、「過去の私も今の私もそのまま100点満点に近い」と思っているが、改めて氏の子供のころの苦労を知って、私は恵まれていると思う。不平、不満を言っていたらバチがあたる。

先日、神戸市から「すこやか手帳」が送られてきた。まだ、青年のため使いませんと言って返送しようと思ったが、手元に置いている。今日の新聞を見ているとバスなどの優待乗車券のことが書いてある。神戸市も年間35億円ほどこれに使っているが今後増えるばっかりで、困ってしまい、一部負担してもらうことになったらしい。
現在70歳以上になると優待券をもらえる。収入が年間378万円を超える人は3万円出さなければならないが・・・この券は紛失すると再交付してもらえない。これで地下鉄やバスにタダで乗れる制度だ。
私もさらに年老いて車の運転が出来なくなれば、この制度を利用して、毎日三宮周辺を徘徊すべく楽しみにしているのに、どうやら一部負担になりそうだ。一部負担は半額負担程度だろう。するとバスは100円で乗れるんだが、金がいるんだったら乗らない。無料だから面白いのに・・・せっかくの楽しみが1つなくなった。

45  少し遠い将来を見て暮らす

12 生と性

丹波市になったので、今まで青垣町の「学びの館」で本を借りていたのが、今は氷上中央図書館で借りている。素晴らしい図書館である。今回借りたのが「老いの生と性」という本である。(宮内博一 著 海竜社)著者は
「20年、老人ホームでさまざまな生きざま、死にざまと向かい合って生きてきた。老いればすぐそこの死に向かって対面しているが、生あるうちの、老いの生き方の中味は人によって千差万別であるが、老いの変容は性の変色を誘い、性の枯渇は死へと誘導する。老いと性と死とは一つの線でつながっているのである。・・・」
 と述べられている。
 なるほどその通りだと納得するところがあったので2〜3抜粋させていただいた。定年後の男性諸兄には「同感である。」とする御仁も多いのではなかろうか?


 「生きる欲望がある限り、人は滑稽にも思えるドラマを演出し、蟷螂の斧と知りながらも死ぬまで性命を燃やそうと努力する。人間というものへの限りなきいとおしさよ。」


 「ずい分と以前の話になるが、私が老人ホーム(経費老人ホーム)を開設した当時のことである。百鬼の形相をした老女が入所してきた。髪はざんばら、勿論紅白粉のあとはなく、男の私にもわかる粗末な和服は、垢で汚れていた。しかし、彼女は、顔も身なりも一向に気にならない風情であった。この老女がある日を境にしてさなぎが蝶に脱皮したのかの如く変貌したのである。寮母一同はむろんのこと、私もびっくり仰天した。まさに乞食女変じて華麗なる女の誕生である。彼女は恋をしたのである。それもさながら、少女のようなほのかな恋のようであった。この老女は70歳。彼女の恋の相手は別の居室に住む男性、73歳の老人であった。あれだけ何度も、寮母が髪をとかして身奇麗にするようにすすめても、一向に聞く耳をもたなかった彼女である。それが、ある日を境にして、一変したのである。変化はまず髪をとかすことから始まった。そして、ほとんど毎日のように、どこから仕入れるのかわからないが、一合瓶の酒をもってその老男を訪ねるのである。訪ねたところでとり立てて交わす会話があるというのでもない。とにかく顔を合わせることで満足しているようであった。男の居室へ行く。お酒を差し上げる。たったこれだけのことだが、彼女は老男に会うことに生きがいを発見したのである。初恋の面影をこの老男の中に映し出したのだろうか。或いはこの男との出会いで眠っていた炎が呼び覚まされたのだろうか。いろいろ想像は出来ても、彼女の異性に対する心象風景は克明にはわからない。しかし、彼女の行動には恋としかいいようのない慕情がにじみでていた。彼女は男に会いに行く時は鏡にむかって髪を充分すぎるほど整え、和服の襟を正し、念入りに女らしい色気を演出する。一方男のほうは、まるでハトが豆鉄砲をくったような面持ちで彼女の好意は受け入れるものの、ただそれだけのことであった。それでも、彼女は、せっせと老男のもとへと通うのであった。」


「人間の老化は一日の休みもなく進行するのだが、異性との心温まるめぐり合いは、老化の進行をおくらせることができるのだ。なんという至福であろう。異性との会話によるコミュニケーションだけでもいい。二つの心を一つにし、孤独が回避できる。心と心を温めあい、豊かな感性を復元することができるのだ。性を性交とのみ捉えようとすれば、老いの性は成立しないであろう。ペニスは衰え、ヴァギナは潤いを失っていくのだから。しかし、性的不能になっても性欲から解き放たれることのないのが人間の性だ。肉体的には手による接触は出来るし肌と肌の接合はできる。体だけではない。そこに精神が合一すればめくるめく恍惚はなくても、心の孤独は安らぎのある豊かさに変質し、満たされた歓びがにじみでてくるのではないだろうか。だからこそ私は、講演などで、「死ぬまで恋をしろ」というのである。心の発情、性幻想の描けない人は、早く醜く老化していくのである。

「特に男は定年という通過儀礼を過ぎると、目的喪失症候群にとらわれやすい。これからの人生の方向がつかみにくいのである。だが考えてもごらんなさい。これからあと、まだ20年もあるのである。今までの人生のおつりで生きるには長過ぎるではないか。もったいない話である。老期こそ人間の内面の輝く時なのである。人間の真価を問われるときだといってもいいだろう。60歳までは人生の助走なのだ。」

「性への関心は、人を美しく老いさせる。性の幻想を失うことなく老いを生きたいものである。咲くさくら、残ったさくらも、散るさくら。死はいずれやってくる。」



この本を読んで 性が亡べば生おのずと閉じる  という感じを強くした次第である。恋心はいくつになっても必要らしい。

13 Tシャツが似合う体に












定年後のホームページを見ていたら、「Tシャツが似合う体に」、として静岡県の伊藤静雄氏のエッセィがのっていた。氏は72歳であるが好みのTシャツを着込んで背筋をピーンと伸ばして益々元気に暮らしておられる。晩年、幸せかどうかでその人の値打ちが決まる。氏の前向きな幸せ老後の記事を紹介します。


、ただいま72歳。

すこぶる健康!と胸をはりたいところだが、最近膝の具合が悪く医者から「あと三十年、大切に使いましょう」などと妙に励まされている。
俗に“歯・目・・・”といわれる通り諸々に衰えのきていることは否めないが、同年輩の諸士に比べれば至極元気者の部類に入る。
少年の頃は『青びょうたん』とあだ名される華奢にして蒲柳の質だったが、長ずるに従って色浅黒く頑健になった。

労せずしてそうなったわけではなく多分に努力の甲斐あってのことだが、今でも『元気が出る』生活の持続を目指して自らに課していることがある。
列挙してみる。

1、暢気(のんき)に暮らす
2、ジョギングの励行
3、小食
4、異性への興味や憧れを失わない
5、しっかり30分ストレッチ体操

なあーんだ、といわれそうな位ごくごく当たり前のことばかり。
でもこの5つ(あなたクリアできますか)と問われて、ハーイ!と答えられる方はそう多くはないでしょう。
その筈でこれらは私個人の個性・特性・考え方に基づいてやっていることで万人に通用しない。

はじめに断っておきたいことがある。
4の『異性への興味云々』の項を掲げるには多少のためらいがある。
なんだ、いつまでもそうなことに関心をよせているのか、この狒狒爺(ひひおやじ)などとあらぬ誤解(いやもしかして正解?)を生じかねない。
4の意図するところは解ってくれる人には解ってもらえると思う。
従ってこれにはあまり触れたくない。
文章力未熟な私ではうまく表現できず『藪蛇』になってしまいそう。
1、2、3について述べたい。


〈暢気に暮らす〉
さる大病院の受付け窓口に次のようなことばが書いてあった。
『なるべく成り行きにまかせて、なるべく呑気に、なるべく陽気に、なるべく喜び、なるべくにっこりと笑顔で』
言わんとするところは、心はからだでからだは心、ということかな、と愚考する。
たとえば非常に落胆したあと一挙に老けこんだりすることなどが該当する。
こんな話を聞いた。山で(海でもいいが)遭難したとき、もうダメだ!と思った人から亡くなっていくという。

まことに人の命は気の聚まりで、散ずれば死、といわれる所以だ。
然し私の『暢気に・・・』はちょっと趣きを異にし、気持に波を持つな、ということではない。
喜怒哀楽を控えよ、ということともちがう。

この年齢に及んでなおすべてにノホホンとは対処できず血の気は多い方だから暢気さを悟るには修養が足りない。
だから、一連の外務省の不祥事の報道にはカッカとしてしまい、過激なことを口走ったりしてしまうのである。
私の欲する“暢気”はかなり深刻な事態に直面してもクヨクヨ考えこんで落ちこむなという程の意味である。

〈ジョギングの励行〉
歩きの効用は百も承知だが、これって継続するには並々ならぬ強固な意志を必要としますね。
負けそうになる気持に笞うつ気概がないと三日坊主になる。
私と同時に一念発起して始めた人の殆どはやめて久しい。
私の場合は歩行時間1時間。
コースはAからKまで10ぐらい設定してある。
妻と同行することが多い。
他人と連れ立って・・・はどうもうまくいかない。
なんだかんだと都合が悪くなったりすることが多く、予定を狂わされ揚句はこちらの意欲まで殺(そ)がれそうになる。

私の住んでいる所はジョギングコースを選ぶに誠に好都合な条件がそろい恵まれた環境にある。
地の利を得ているのである。
        
〈小食〉
意識的に食を細くしている。
妻と2人で1日3食1合7勺。
まるで小鳥の餌だね、と笑うがこれで充分足りる。
間食も殆どしない。

ただ副食物は多少贅沢をする。
果物は・・・いやあ食いますねえ、これは食い過ぎとして反省材料だ。
保健の先生に『果糖過多』と注意された。

3度の食事の配分率は3・1・2と朝食に力点をおく。
そして年にしては多少過度な運動をして常にベスト体重、かっこいい体型を保つ努力は惜しまない。

小食のせいか胃腸はすこぶる丈夫で快食快便快眠が得られ健診の度に『異状ナシ』と太鼓判を押され悦に入っている。

私は癌やその他の病で斃れることはないように思う。
事故で死ぬんじゃないか、とそんな場面を想像して暗澹(あんたん)たる気持になることはあるが〈暢気に暢気に〉とすぐ気をとり直す。
かわり身は速い方だが、“軽々しくてオッチョコチョイ”の謗りは免れない。


私は70すぎてからも
「Tシャツがよく似合う」といわれる。
お世辞とはわかっていてもひそかにほくそ笑んでしまう。
若い時から体型を保つことには人一倍努力をしてきたから自信と自負はある。

妻に話したら「それって貧しいってことの裏返しでしょ」といわれてしまった。彼女のやっかみであろう。認めてはいるのである。

ピッと背筋を伸ばす意識が常にあって、身のこなしも務めて敏捷を装っている。
私にとって爺むささと愚図は最大の敵である。

(静岡県発信)










14    定年後は自立がポイント


定年後、90歳を超えて死ぬまで幸せに生きるために必要なことの一つに「自立して生きる。」ということがあげられる。どういうことかと言うと「夫離れ、妻離れ、子離れ」ということだ。もう一つ付け足して言えば「嫁離れ、孫離れ」だ。妻が長期旅行しても、夫は趣味を楽しみ 自分らしく、自分のために暮らす・・・・ということが出来るかどうかだ。長期旅行が天国への旅行になっても同じことである。どちらが先立っても同じである。夫婦元気な間にこのことは早くから訓練というか、改革というか立ち上げておかなくてはならない重要なことである。これは、妻や夫や子どもをないがしろにする発想から生まれたものではない。老後の個としての充実、幸せを考えると、片方に依存したり、家族に寄りかからなければ生きていけない状態に甘んじたりしては自分の人生の幸せはないのであるから声を大にして言っているのである。言い換えれば夫や妻に迷惑をかけず、子どもに迷惑をかけず、嫁や孫に重荷にならず自分らしい幸せを追求し終わりの日を迎えたいのである。そのための「自立」である。この考えは楽しいこと、充実できる時間を増やし、現状を不足に思わず感謝して暮らす基本姿勢に結びつく。老後に病気になり気力、体力が衰えると、「つらい、情けない、疎外されている、分ってくれない。」と不平不満のかたまりになる例がある。あるというより、ほとんどの人がそうなるようである。老後は幸せであるよりも不幸せの温床であることを認識しなかったのである。自分で自立して前向きに生きてこなかったことが、その原因である。夫、妻、子供、に依存し、自立できなかった甘い自分に責任があることを、そうなる前から予見できるのに、安易に流れ、安きについた自分の「身から出た錆」なのである。ひつこくなりすぎたが「自立」については、これで良く解っていただけたと思う。そこで最後のポイントだ。「自立」する上で最も重要なこと、それは何でしょうか?・・・・それはきわめて簡単で、  「一人で食事の準備ができ、楽しんで食事ができること。誰にも迷惑をかけず身の回りのことができること」と「楽しい趣味を死ぬまで持つ」ことである。自分が日々楽しく過ごすことは、家族全員の願いであり、家族の幸せそのものである。
 

15   コンビニでインターネットが出来ないか


日本へ観光旅行に来ている外国人は、旅行中、インターネットをどのようにして利用しているのだろうか?多分あきらめているのかもしれない。都市部を除いてインターネットが出来ないのが実情なのである。
日本国内では都会を除いてインターネットのサービスをやっている店を探し出すことが困難だからである。平成17年夏北海道へ24泊の自動車旅行をしたが、その時も困った。自分のホームページへの書き込みをしたいのだが、サービスを受けられる店がまず無い。探しても無理だということがわかったので、あとは行き当たりばったりで探すしかなかった。しかしだ・・・その後バリ島へ旅行したが、旅行中困らなかった。インドネシアの田舎でも日本よりはるかに進んでいる。進んでいるというより、多数の外国人旅行者の需要があるから商売がやっていけるということだ。ニュージーランドをはじめ他の国でも、旅行者は不自由しない。日本の各家庭にはインターネットが普及したが旅行者は難渋するのが実態だ。そこで是非コンビニエンスストアか郵便局でインターネットサービスを始めてほしい。場所的に分りやすいので旅行者に喜ばれる。日本への観光客誘致行政の役にも立つ。「日本は何所へ行ってもインターネットが利用できる。」ようになるからである。
困った例をあげれば、こんな状態です。姪の結婚式に合わせ、4泊で北九州の門司へ行った。平成20年4月上旬、この時期桜が満開なので各地の桜を撮ってホームページへのせるべくノートパソコンを携帯した。ところが・・・である。なかなかネットの出来るところがない。ずっと気にしながら運転していたが広島へ入ってマクドの店を見つけた。マクドはインターネットサービスをしていると宣伝していたが、この店ではやっていないとの返事、その後さらにもう一軒マクドの店を見つけたがそこも繋がらなかった。失望しながら津和野の道の駅へ着いたとき情報コーナーでネットサービスをやっていた。なので、インターネットを接続させて欲しいと依頼したがあれこれ理由を言われ断られた。仕方なく、自分のホームページを見て画像掲示板と文字の掲示板に書き込みがあるかどうかだけを確認したにとどまった。カメラにはホームページに貼りたい画像があるのにあきらめざるをえない。これで3箇所駄目だった。それでも結婚式場の「門司港jホテル」へ早めに到着して式までに画像を貼れると安心していた。が、がだ、立派なホテルの外観、ロビー階にある案内に行って失望した。「インターネットの接続はこのホテルでは出来ません。門司駅へ行けばできます。」との説明。(門司駅の構内か、駅の周辺にあるのかを聞かなかったのが失敗だった。)門司駅へ向かい駅の駐車場へ停めて駅の案内担当に聞けば「インターネットサービスはありません。」と答える。こちらとしては15分も車を走らせやっと着いたところでこの返事、でも、でもと「それではこの近くにインターネットに接続出来る、そんな店はありませんか?」「それならここから歩いて5分ばかりのところにゲームセンターがあって、そこでは出来るようです。」仕方なく屋上駐車場までエレベーターで戻り、駅の西側にあるゲームセンターへ向かった。少し重たいノートパソコンを持って、結婚式出席の略礼服を着ての動きである。これでその店で目的達成出来ればまだしも、不親切な案内係へこのいきさつを電話すると「7階の客室からご利用下さい。」という。ゲームセンターを目前にしてホテルへ引き返した次第。 不親切なホテルマンの応対だった。 
この、対応の不親切はともかくとして、日本国内でのインターネット事情はまだまだなのだ。

18年10月で5年が経過する。定年後5年を振り返ってみます。
●  人生の晩年、しあわせでないと寂しい。最後は「いい人生だった」と言って息をひきとりたい。ところが老後、なかなか幸せになれないような気がする。私の周囲にもたくさん例がある。二所帯住宅にしてからもめごとが絶えない人、健康を害し落ち込む人、独身主義を貫きここに来て寂しくなり少し後悔している人、何も言うことはないが年金が減って生活苦になった人、田舎暮らしにあこがれて転居したが、思いに反してわずらわしく、後悔している人などなど・・・・、晩年思うように行かないで落ち込んでいる例が多い。、気の持ちようで何とかなるものではない・・・。すべてに恵まれる人が少ないように思う。誰も歳をとるのであるから、出たとこ勝負で定年を迎えるのでなく、定年前から準備をしないと幸せな老後に間に合わない。特に趣味の分野がそうだ。なんとしても自分に合った、楽しい趣味を定年前から模索しておくことがよい。楽しい趣味は必ず老後を豊かにする。体力が衰えるに従って、情けない、とか不平不満を言うようになるらしいが、あてがいぶちの生き方でなく自分らしく、自分の納得するように過ごす基本的な条件が趣味だ。もとにもどるが、老後楽しかったな〜と言える人生でありたい。
還暦の前後は体調の変化が表れる。定年前後5〜6年が大きく変わる頃らしい。健康管理が良かったのか、私はさしたる病気をせずに経過した。趣味のパラグライダーが良いみたいだ。若い人のあいだにいてワイワイやっていると話題も入院や癌の話から遠く、忘れて過ごしたのが良かったのだろう。定年後は年寄りと仲良く過ごすより、若い人とワイワイと過ごしたほうが良いですよ。そういう意味ではその種の趣味がよろしい。自分のしたいことをして、行きたいところへ行って好きなように過ごした5年、時間の流れも次第にゆったりして、すっかりマイペースが身についた。わがまま気ままに暮らしている。友達がポツポツ癌で死にだしたので私もそうなったら「癌闘病記」を書こうと思ってブログを立ち上げているが書き込みはしばらく後になるらしい。
● ホームページ 実にたのしい。趣味の第一と言っていい。インターネットと合わせて私の晩年の生きがいのひとつとなった。インターネット中毒のように、暇があれば開いている。写真も面白い。掲示板に少し悪意の書き込みがあり、私のホームページをのぞいてくれる人は全員が好意的だとは違うことに気がついたが、削除はしない方針で臨んでいる。苦労してつくったので、大事に育てたい分身だ。ネット上でたくさんの友達も出来つつある。ホームページを見ています・・・と言って下さる人は親戚のような気がする。私はその人のことをまったく知らないのにその人は私のことを良く知っている。変な感じの新型親戚なのだ。ページで注意していることがある。一つは誇張は書いても嘘は書かないこと。もう一つは家族の暮らしや孫の成長を写真入で載せないこと。嘘は必ずばれるし、家族の様子は第三者にとって知りたくもない情報なので載せない。可愛い孫でも他人から見れば見れたものではない。
● 旅行 外国は15カ国、国内は旅行日数で計算すれば、北海道から沖縄まで通算102日(泊)の旅をした。外国へは体の元気な間にもう少し足をのばしてみたい。晩年は国内の温泉めぐりの第二ラウンドだ。行けるかな〜旅って人生そのもの、旅先での思わぬ出会い、感激、大自然の営み、温泉に入って一杯。いいですね〜 
● 経済 年金だけでは暮らせなくなった。毎年100万程度の赤字。つつましやかに暮らしている。癌になった時の病院代と不慮の交通事故などによる失費など必要最小限度残してあとはあまり気にしていない。株もインターネットでさわっているが遊び程度。高く買って安く売るパターンが定着し損ばかり。
● 死  最近、このまま静かに息を引き取ったらしあわせだろうな〜と思う時がある。誰でも死を迎えるから、早いか遅いかの差があるものの苦しむことなくスーと死ねたらイイナ〜と思う。人間、もともと「無」から生まれてきてまた「無」の世界へ帰っていく。考えてみれば喜ばしいことである。ただ死期を迎えて激痛に襲われ思わず「助けてくれ〜」と叫んだとしてもそれが私の本性だとは思わないでほしい。それにしても静かに息を引きとりたいです。象は死んだ姿を他に見せないらしい。猫も最後は「猫がくれ」するという。● 体力 あまり体力のことは考えていなかったので普通に生活し、よく動き、よく飛んでいた。しかし、なぜか体力の衰えを感じるようになった。一番気になることは階段を降りる時。無意識に掴まる所を探している。なぜか、たよりない。首から上も痴呆症に近く、最近は手に持っている物を探していたりするが、首から下もおぼつかない。そこで腹筋、スクワット、腕立て伏せを朝晩続けている。自転車こぎもいいらしいがこれは青垣滞在中走り回って写真を撮り、コンビニで新聞を買う時だけ。筋肉は使わないと老化する。
● 交際 定年後はそれまでの職場のつながりをきれいさっぱりと切り離したほうが良さそうだ。いつまでも連綿として過ぎ去った職場や人間関係を引きずらないほうがすっきりする。40年近く心血をそそいで働いた職場ではあるが、それだけに良いこと悪いことが玉石混交で人間関係での摩擦も多かった。楽しい思い出よりも、苦々しい思い出のほうが何故か良く思い出されれる。だから、ゴルフ以外は前の職場との付き合いはしていない。私にははるかに楽しい趣味の友が多い。過ぎ去った友の様子も気にはなるが、過ぎ去った人、通り過ぎた人は過去の人である。趣味などを通じて新しい友人がほんの数名あればじゅうぶんなのである。
● 病気を治す 人間は病気にになれば家族もあたたかく介抱し医者へ行って薬ももらう。熊は怪我や病気になれば、自分でじっとして寝て治すしか方法が無い。だれの助けも求めないし医者もいない。ほんのりと暖かい丸い穴の中で丸くなってひたすら寝て病気をなおす。体力が回復すれば良いがそうでなければいっかんのおわりである。たとえそうなったとしても達観している。御心のままに・・・・なのである。やっと元気を回復しても前のように餌を捕れる体力に至らない。栄養源の補給は他の熊にたよって待っていても誰も運んできてくれないし、病後の貯えもない。十分に回復していない熊にとっていきおい人里近くへ出張し病み上がりの身体で餌を求める。やむをえないそんな事情を知ってか、知らずか、人間は襲いに来たと勘違いしている。元気はつらつの熊は決して人里には現れない。そっと見守ってあげたくなる。必ず山へ帰るのであるから。定年後の人間はこの忍耐強い熊に見習うところが多いナ〜と思う。今日も街中では救急車が走り回っているが、熊は救急車を呼ばない。ほんのりとあったかい丸い小さな穴の中でじっとしているだけである。

24 定年後丸5年、あれこれ所感

23  前向きな意欲

昨日、ゴルフコンペに参加した。定年後の悠々自適組の面々だがこの暑いのになにも無理をして参加することもなかろうと思うのだが、このあたりが前向きな人とそうでない人との差ではないかと思う。大正14年生まれの方や昭和2年生まれの方も元気に参加されておられ、敬服する。人間をながく勤めて、65〜70歳を越える頃から必ずあちこち不具合がでてくる。健康100点の人はまずいない。この不具合に負けて「無理をせず家でゆっくりしているのに限る。」と考え、立派な老人になって引きこもっている人と、多少の病気は当たり前、痛くなければ幸せで皆とワイワイゴルフを楽しもうと背筋をしゃんと伸ばし、ちょっとばかり派手なシャツと麦藁帽子を愛用し後輩から畏敬の念を持たれている。まさに勝者と敗者の差がでる。「グリーンで倒れても、畳の上でイビイビしているよりまし、よろしく頼む」とあっけらかんと語る。不平不満を言って家で迷惑がられている老人諸兄と大違いである。定年後の人の生き方は100人100様、何が良いかも悪いかも言えないが、趣味を楽しみ、過去を振り返らず前向きに生きたいものである。お1人様一回限りの人生だから後悔だけはしたくないものである。真夏のゴルフをしながら勇気づけられた。

22  老後の個人差

団塊の世代を向かえ大量退職時代だ。定年退職後の生き方について、「何が老後を豊かにするのか、いきいき暮らすにはどうしたらよいのか・・・」又八も色々考え、このホームページでも発信しています。

パラグライダーは若者のスポーツと決めている人もいるが、「無理をせず飛べば危険なスポーツではない」といい続けている。
このたび69歳でパラを始められた湯谷さんを拝見しているとまさに我が意を得たりで、おおいに宣伝したいと思う。ご本人は迷惑だろうが、お許しをいただきたい。湯谷さんは周囲に発信するために楽しんでおられる様子ではない。自分の楽しみとして素直にパラと接しておられる。
誰でも70歳にもなれば体力、気力に衰えを感じるものらしい。家の敷居につまづき、和式の便所では立ち上がるにおぼつかなくなり、失禁も常日頃でおしめの展示品を横目で見る。視力も聴力もおち、衰えないのは減らず口、
政治、社会の批判はさも真髄を得ている如くにとうとうとしゃべってみせる。が、新たに何かに挑戦する意欲は歳とともに衰退していく。
この年代で新しいスポーツ、それも簡単には取り組めそうにないパラグライダーを選んだ氏の前向きな意欲には感心させられる。たぶん50歳代からの趣味や交友、自分らしい生き方の追求にあわせ、健康管理の成果が同年代と比べて差をつけたのではないか・・・「公園で孫と遊び、無料のパス、地下鉄の回し乗りをしている場合ではない。奥さんに粗大ごみ扱いされてもんもんとし、そのうち、そのうち、と出来もしない夢を追っている場合でもない。」のである。


21  ツリーラン

テークオフで失敗し、出たところの木にひっかかったり、稜線で低く回しすぎて予想以上に沈下し木にひっかかったり、はたまたスピンに入って落ちてひっかかったりとツリーランにも色々な形がある。木の無いところへ落ちると大事故になるので又八もいまだにあまり高くも低くもない木のいっぱいある上で飛ぶのが一番安心する。高ければ高い位置で飛ぶのが安全なのだが、自分の感覚からすれば1500〜2000m以上は恐ろしい。天上から怪物が現れどこかへ連れて行かれそうな恐怖感がある。だからチマチマと飛んではいまだに注意されている。
元に戻るが、ツリーランは経験した方が良い。きわめて安全で、木にひっかかった瞬間はなにものにも変えがたい快感がある。大きな木のてっぺんで鳥になって遊んでいる感がある。こんな面白い遊びはほかにない。子供の頃、木に登って揺らして木渡りをした時の何倍も面白い。皆が「大丈夫ですか?」と無線で言って来る。大丈夫に決まっている。怪我が無かったことに安心した皆は今度はレスキューセットの準備など話している。近くの友はもう木の下へ走りよって上を覗いて羨ましそうに見ている。まるで物語の主人公、王子様になったようで得意満面だ。ホントはすぐにハーネスをはずして木から降りられるのだがそこは自重しなくてはならない。自分で勝手に降りて死んだ人は数知れない。ニュージーランドのボブス山などの巨大な木にひっかかると、はなからあきらめるのだが、すぐ地面が見える木なら1人で降りたい欲望にかられるが、そこは辛抱で、ぶら下がって歌でも口ずさんで開き直っておるのがよいがあまりゆすってはならない。
その後、ワイワイとしゃべりながら、大丈夫ですか!大丈夫ですか!ともてはやされ、人の好意が寄り集まって、こんなにも自分のことを心配し、大事に扱われた経験は子供の頃、柿を取ろうと柿木に登って落ちた時以来のことであるナ〜と頭をよぎる。雨に濡れた柿木はよくすべり登ってはならない。あの時も何人もの大人が気絶した私の周りでワイワイやっていた。
ツリーランには「痛快」という言葉が実によく似合う。その後思い直して皆にあやまり、自分も誰かがツリーランしたときには真っ先に助けに行こうと決意する。パラは自然を相手のスポーツなので人間1人ではなんとも出来ないことが多い。そこでこの遊びを始めるにあたって皆と和気あぃあぃ、仲良く助け合わなければ続けられないことを知るのである。だからみんな仲が良い。「楽しく愉快な仲間」なのだ。よほどへそ曲がりの人以外、意見の衝突などもない。自己主張はそこそこなのだ。同じ船に乗り合わせた同じさだめの友達なんだから仕方ないのである。ツリーランをすれば、パラも一人前、経験の無い人は気の毒な気もする。私はこの貴重な経験が3回ある。助けてもらった人にこころばかりの冷たいものを差し上げ、「またツリーランするゾー」とうそぶいたりする。少しばかりの心の傷を払拭するためにである。

ベトナム・タイへ旅行して来た。ベトナムは雨季で湿度は高く気温は32度、一日に何度かスコールにみまわれた。料理はおいしいし、買い物が楽しいから是非行ってみたいと思っており今回実現した。ところがである。この暑さと湿度、バスに乗りまずホーチミン市の交通混乱の渦を体験し、「えらいとこじゃーなー」とびっくりした。世界一混雑の街、それでも写真をとりまくり、おいしい物を食べ、調子よくつつがなく旅程をこなし帰国する日になって夫婦そろってひどい下痢にみまわれた。すぐ治ると軽く考えていたが、その後7日間も苦しむとは当時思ってもみなかった。帰りの飛行機に乗る前から下痢症状はあったが検疫所の申告は「きわめて健康体です。」と虚偽申告した。いままで東南アジアへは何度か行ってちょっとの下痢は問題なかったからである。
帰ってから近くの医院へかよいながら点滴、一向に回復しない不安でインターネットで旅行者からの情報を収集したり、検疫所への連絡、同じツアー客へ旅行社からの連絡の依頼などもした。当初家内が39度の熱が続き、下痢、腹痛、高熱の三拍子揃っての症状から鳥インフルエンザではないかと疑った。いよいよカウントダウン。私たちの幸せ人生の幕引きも近いと覚悟を決めた。掲示板へもあと28日でお陀仏とのありがたいお言葉もあった。日本に無い病原菌は日本で治療の方法が無い。鶏は体温が高く、この固体で繁殖する菌は人間にうつると人間の体温では駆除できない。益々調子よく繁殖し本体を駆逐する恐ろしい病原菌である。現地では市場や下町へも行き、食べたり飲んだりついつい油断したのがいけなかった。どぶ川で野菜を洗う実態を忘れていた。行く前の注意書きで、歯磨きでも買った水を使いなさいとか、氷に注意とか、もちろんなま水やカットフルーツは食べないようにしていたが果物や野菜はホテルでも出るしつい警戒力が弱まった。結局のところ原因は不明。日本に帰ってから7日間の悪戦苦闘にみまわれてしまった。東南アジアへ旅行される方、気をつけてくださいよ〜。私はもうこりごり。夫婦そろって降参しました。最初下痢は大歓迎ですとかなんとか言っていた家内も点滴するに及んで相当こたえたらしい。肥満体解消も命あってのことである。

20 鳥インフルエンザか? 年甲斐もなくビビッタ

時間はあるようで無いし、またないようであるものである。しかし、そのうち暇になったら始めたいと思っている・・・と言う人で、本当に始めた人は少ない。会うたびに「私もしたい。」と言う。「したら」と返事するとその時々の理由をのべて、もう10年近く何もせずただ生きているだけというひとがいる。もったいないだけではない。聴いているこちらがいらいらするものである。晩年になって思うが、誠に人の生き方は千差万別である。そしてまた、何が良いかわからないものではあるが後悔だけはしたくないものである。気に入った詩があるのでのせておきます。


「そのうち」 相田みつを

そのうち お金がたまったら
そのうち 家でも建てたら
そのうち 子供から手が放れたら
そのうち 仕事が落ちついたら
そのうち 時間のゆとりができたら

そのうち・・・
そのうち・・・
そのうち・・・ と、

できない理由をくりかえしているうちに
結局は 何もやらなかった空しい人生に幕がおりて
頭の上に 淋しい墓標が立つ

そのうち そのうち 日が暮れる
いま きた この道
かえれない

19  そのうち症候群

定年後自分でどう目標をたてて自分らしい充実した暮らしをするか・・・・参考になる記述があったので紹介する。


ここまで目標の作り方について述べてきましたが、目標設定の前に、自分の興味や関心を探ることも必要です。別の言葉で言えば、これは自己理解の問題ということです。自分の興味や関心を探るということは、どういうことかというと、「何をやりたいのか、何が好きなのか、定年後何にこだわってみたいのか」ということを目標を作る前に、自分で自分のことを見つめておくことが大切だからです。

これを具体的に言うと、1つは、「自分の性格傾向を理解する」ということです。2つ目は、「自分はどのような方面に関心や興味があるか」ということです。例えば、「身体を使うのが好きなのか、頭を使うのが好きなのか」、「仲間と一緒にやるのが好きなのか、一人でやるのが好きなのか」、「外を飛び歩くのが好きなのか、家の中で静かに過ごすのが好きなのか」という傾向を調べることです。

もう1つは、自分の価値観や人生観はどのようなものかということです。目標設定の前に自分自身を理解する上で大切なことです。もし、価値観を一言で言うとするならば、「何を大切に考えているか」ということです。例えば、健康のことをどう見ているか。「病気になったらもう終わりとみるか、それとも全面的に病院に頼るとみるか、あるいは病院にはまかせられない、自分自身で守るしかないとみるか」というようにいろいろな考え方があるわけです。このような考え方、価値観、人生観というものをしっかりしておくことです。これは内面的な問題ですが、この3つを目標作りの前に考えておく必要があります。

以上のことを踏まえて、具体的に定年後の目標を作ってみて下さい。あとは実行あるのみです。目標を作っても実行しなければ意味がありません。目標に向かって活動し、定年後は明るい人生をお過ごし下さい。

(インターネット検索で見つけた文章ですが出所不明)

18  定年後の目標

男女の平均寿命に差があることは男として納得できない。この辺で男女交代してもらいたい。なぜ女は長生きするのだろう。子供を産むから神様がそうしているかららしい。しかし男だってあちこちで子供をつくる人もいるし多くの男性はそうしたいと願っているから神様だって片手落ちである。さらに、その差を知ってぞーっとした。男は77.1歳、女は84.1歳で6〜7歳の差である。5歳年下の家内であるから私の没後10年は楽しく愉快に生きていける。うらやましい。なんでそうなるのかー・・・・その原因が判明した。むつかしいことではない。いつでも真理はシンプルである。なぜ寿命に差が出たのか?それは女性の長髪(長い黒髪)にある。女性の髪は頭部、特に後頭部と首筋に保温効果があり血流と代謝を促進しているからである。この保温が重要な役割をになっていたのである。男は短髪で、長年のこの差は大きい。男性諸兄には皆、覚えがあるだろう。散髪直後に寒くて身震いしたことを。生まれたときから死ぬまでのこの温度差は女性との寿命差になって如実に現れているのである。科学的に解明が待たれる。温帯地方の寿命差が少ないのもそのせいである。一方、生まれたときから女性も丸坊主の民族では差が無いことからもわかる。特に冬の夜間睡眠時の側頭部から後頭部の保温は大事で、この拙文を読まれた男性は早速今晩から保温に努めて貰いたい。と同時に妻には丸坊主を勧めるがよい。瀬戸内寂聴さんと交際してもらうことである。男と女の寿命は同じだということを実証しよう。(あくまでも私見)

17  男女の平均寿命格差を解消

儲かると期待してせっせ せっせとパチンコ店へ通う人が多い。「客が投入した総額よりも店が支払う額のほうが絶対に少ないこと」「店の各台を一箇所で出玉のコントロールをしておりそのシステムが認められていること。」に気がついてほしい。(実際にコントロールしているかどうかは判らないが、そのシステムが認められている。特許庁のH08-301849号を参考にしてほしい。)特許庁公開文書を以下に記載。
 
【課題】 パチンコ台の出玉率をユーザの利用状況などに応じて調整する。
【解決手段】 ICカード1に利用者の識別データが記録されるユーザIDエリア1Bを設けると共に、ホールコンピュータ3に識別データに対応して利用者の利用状況を示すポイントデータが各個に記録されたデータベース34を接続し、ホールコンピュータでは、データベースのポイントデータにより出玉率を決定してユーザIDとともにパチンコ台へ送信し、パチンコ台では、挿入されたカードのユーザIDとホールコンピュータから送信されたユーザIDとの一致を検出すると、予め設定された出玉率を、ホールコンピュータから送信された出玉率に変更してこの変更データに応じた出玉の制御を行う。従って、各パチンコ台の出玉率をユーザの利用状況などに応じて調整できる。(回線の設計図付)


この装置が開発され、特許登録されている。特許のロイヤリテーを税務署で調べると、多数、高額で売られていることがわかる。ということはあまねく使われていると思ったほうが一般的である。今は、「釘師」の技術との知恵比べの時代ではなくごく小さなチップ一個の時代である。期待感で「今度は儲かる。」「たぶん儲かる。」「損をしなかったから今日はいいか・・・」「負けたのは自分が悪かったのではない。台が悪かった。店が悪かった。天気が悪かった。」と必ず他人のせいにする。パチンコ台に遊ばれていることを早く知ってほしい。

16  パチンコは儲からない。


青垣では田植えの準備が始まった。さっきまで桜が満開だったのにあっというまの季節の移り変わりだ。田んぼを耕し水を引く、あぜ塗りし、トラクターで代かきして田植え機であっという間に植える。ヘリコプターで病害虫の駆除をして稲刈機であっというまに刈る。機械で脱穀、乾燥して終わり。人間が手作業ですることといえば育苗と補充の挿し苗などほんの少しだが、育苗さえ農協に頼む。こうなると農家はいかにも楽そうだが、楽ではない。米は都会の人の5割増し10割増しで買ってたべている計算になる。機械代が高いから、「機械奉公」をしている。定年後田舎暮らしを始める人で稲作を本格的にする人はまずいない。本籍地へ帰って親から稲作を引き継いでも早晩止めることとなる。田舎暮らしは農業生産物を売って現金収入を得るにはまず無理です。酪農を夢見て北海道へ移住し、永年の夢を実現した人もあるが、この酪農こそ素人ができる代物ではない。昔から酪農家で「ゆっくり貧乏したかったら牛を飼え、早く貧乏したかったら鶏を飼え」ということわざがあるとおり趣味半分で飼うのであればよいが、生活の手段で飼うとなるとむつかしい。小規模の養鶏業など採算がとれない。定年後の田舎暮らしは、退職金と年金を持って、後は自給自足でやっていけるからと軽く考えて失敗する。食料はすべて自給するから、気楽に暮らせると勘違いする。食料はすべて自給できない。加えて冠婚葬祭をはじめととする交際費は田舎の方が多いので定年後の収入と支出の計算上、余裕のある人はそんなにいない。心細くも蓄えている退職金を切り崩して生活している人がほとんどであろう。田舎暮らしを決断しにくい最大の理由である。

H氏のコメント
おっしゃるとおりです。田舎暮らしは夢見ているほど甘くはありません。
稲作だって苗はほとんどの農家が農協から買っているのが現状です。
1箱750円。2反の田に38枚ぐらいは必要です。農機具は親の持っているの引き継げば別ですが自分で全部購入すると400万は早く必要です。お米を作るのは、一番手間が掛からず先祖代々の土地を守るという意識だけで行われている趣味のようなものです。それも都会暮らしの人達が遊び浮かれる連休の全て農業に費やして、その上人件費は考慮しないからやっていけるのです。
一度体験すると二度と農業はしたくなくなるのが現実でしょう。
だが、一つだけ楽しみがあります。農作業の休憩中に心地よい風を感じながら立派に実ったお米を収穫することです。その喜びを感じたい方は農業に向いているかもしれません。でもその前に人に言えない苦役が有ることは覚悟する必要が有ります。

何やら 定年後の二地域居住がにわかに脚光をあびてきた。団塊世代の大量定年退職者が「老後をどのように暮らして行くか」を考える時、都会に住む中高年代、定年間近の人たちにとってこの「二地域居住」はひょっとしたら自分達夫婦に向いているんじゃあないかナ〜と考えたりしているのではないか・・・そんな人が増えているような気がする。二地域居住で10年が過ぎる私達夫婦にとって、わが意を得たりだ。大いに宣伝しなければならない。どんなところが良くて、どんなところが悪いのかを!田舎暮らしに憧れ、老後は自然に囲まれゆっくりしたいと考えいる人に教えてあげたい。定住となると、ホントこれは簡単に決断できない。田舎へ行って何をしたいと言うのか?何もしたくないのか?そこら辺から十分考えないといけない。近隣との付き合いもただことではなく、考えられなかったことが次々に起る。私の住んでいるところは丹波の最も山奥、青垣町、この地域は地勢的に閉鎖社会で、北は粟賀山系、西はカヤマチ、東は五台山系に囲まれ、それぞれトンネルができるまでつき当たりの不便なところだった。従って独特の民情があり、物価も高く、住みにくいところだ。(住みやすいか住みにくいかは人により、場所により違う。青垣にはこの10年でおよそ100所帯近く定住した。移住者ばかりで自治会を作っているところも4〜5箇所ある。この100所帯に尋ねたわけではないが、実際に住んでみて定住しようかと思ったことは一度もない。)今、私は自治会費を支払っているだけで、近隣の交際はまったくしていない。田舎の自然に身を置きひたすら趣味を楽しんでいるが、パラグライダーと趣味の工房があり、これがホントに楽しい。私にとっては青垣の家も土地も快適です。ここに来たい時に来て、行きたい時に行って、遊んでまた、帰ってくる二地域居は最高の状態を形づくっています。定住して煩瑣な交際に入って、「こんなはずではなかった。」と後悔しても、相当額の投資をしているのだから、元へ戻しにくい。海外居住にしても同じことである。それにくらべ二地域居住は気が楽で定住のような覚悟はいらない。国も「交流居住」(総務省)二地域居住(国土交通省)と銘打ち田舎と都会を往来する暮らし方に注目している。地方自治体もこれに目をつけて色々な需要に対応しょうと商品を準備している。生活の基盤が二つになると必要経費も倍増するのではないかと思いがちだがそうでもない。借家もいろいろあり人気商品は数年待ちの状態だ。できるだけお金を使わず都会の利便性と田舎の大自然を満喫することを考えたい。私のエッセィ7番「田舎暮らし」にも書いたとおりである。私はこの10年間、趣味を継続してきた。定年後毎日の暮らしがだら〜として来て「何か楽しいことはないかな〜」と思ったことなんか一度もない。自主、自立も身についた。(定年後の自立は非常に大事なことです。)二地域居住は私には快適で〜す。

図書館で「私の定年後」という本を借りて読んでいたら、神戸市垂水区にお住まいで定年後淡路島の原野を購入しそこへ通って楽しい老後を送られた記事に接した。最初は自転車利用で垂水から明石港へ、船で岩屋へ渡りそこから1時間30分かかって目的地の原野へ、この1時間30分が大変なので単車の免許を取得、15分で行けるようになった。開墾からはじめるのだから楽しくもあり大変だったらしいが満ち足りた13年を振り返っておられる。毎日海釣りだけは欠かさず、菜園でとれる野菜を添えていただくので、中高年がかかる成人病も忘れて暮らし、花鳥風月をめでてまさに悠々自適のお手本だ。いいな〜、うらやましいな〜と思いながら読んだ。その後どうしておられるのだろうか。
その方が定年後田舎暮らしを視野に入れている後輩へ・・・として次のように書かれている。


●定年後はできるだけ早く実行すること。
 私の経験では、体力は65、6歳から目に見えて下がり始め、70歳を過ぎると重い労働は無理になる。老化には加速度がついている。在職中に土地を求め、やりたい仕事について知識を深めておくぐらいの準備が必要である。
●必ずやりたいことを持つこと
 田舎は変化に乏しく単調である。立派な別荘を建ててもすることがないとむしろ苦痛である。景色などすぐに見飽きてしまう。趣味をともなった労働を考えることだ。
●はじめから大きなことや完璧を期するな
 老後は急速に体力は減退するし、成人病も出てくる。どんな立派な家を建てても足腰が弱り運転が出来ないようになったら生活に便利な町に帰らざるをえないようになる。差し当り、簡単なセカンドハウスから出発し、諸種の状況がわかったところで永住か否かを決めるがよい。


・・・そのほかにも数点の記述がある。ホントその通りだな〜。

作家の五木寛之氏が「林住期」という本を書いておられる。ラジオを聴いていたら彼はその内容で、定年後最も大事なことは「自立」で、それができる人は林住期を幸せに過ごすことができると・・・不勉強で林住期なる言葉そのものを知らなかったので調べてみた。

古代インドの思想に、人生の「四住期」というものがあり、一人前になるためにいろいろと学ぶ期間の「学生(がくしょう)期」。次に、一家の主として妻子を養い、社会的な仕事をなす期間の「家住(かじゅう)期」。それから精神的な修行生活に入る「林住(りんじゅう)期」。そして最後に、それら一切を越えた境地である「遊行(ゆぎょう)期」人生における4つの節目のことであった。

インドでは20年を区切っていたが現在では25年で考えられており50歳〜75歳までをいう。私は林住期の真っ只中を過ごしている。最初聞いた時、林の中に住むというのは姥捨て山の一歩手前で、気に食わない字句だな〜、若い者を指導するとか、人生の充実とかの言葉にしてくれた方がぴったりなんだが・・・ここは仏教から来ており仕方ない。戦後苦労してきた我々はなんとしてもこの時期を幸せに過ごしたい。以前、定年後幸せに過ごすには、健康、家庭、趣味、経済、友人と書いたが、男はもう一つ「自立」が大事で、五木寛之氏が本に書かれているとおりである。自立についてわかりやすい説明があったので引用する。

ブログ「新現役人」に掲載されたA・K氏の手紙から
定年退職後、早いもので3年となりました。あっという間の3年間でした。 定年退職後どうするかについては「孫の育児を手伝う」などと言っておりましたように、具体的には決めていませんでした。退職直後はこれからは平日の空いたコースでゴルフができるぞ、とばかりにゴルフに熱中し、 最初の3ヵ月で20ラウンドをこなしました。しかし腕前はなかなか上がらないままあまりゴルフも面白くなくなってきました。ゴルフを楽しむことより、仕事がないことの苦痛が大きくなってきたのです。そんなときに、経営者である知人から仕事を手伝って欲しいと頼まれ、さっそくお 世話になりました。新しい環境のなかでやりがいも見つけることができました。しかしこれも慣れていくにしたがって友人に使われている自分に何か抵抗を感じ、1年ばかりで退職しました。それではハローワークで新しい就職先を探してみようと、懸命に通ってみました。何度も履歴 書を持って面接にも望みましたが、残念ながら再就職は困難な状態です。やむを得ず、資格でもとれば仕事ができるようになるかと考えて、 資格取得学校にでも行こうかと考えております。しかしそれも最近は勉強をすることが目的というよりは、仕事をしないでいる苦痛から逃れるこ とが目的のような気もしています。今となっては、なぜ現役の時にもっと定年後の自立について真剣に考えていなかったのかと後悔をしています。でも後悔先に立たずということなのでしょう。あとの祭りです。

昨日、ゴルフを楽しんでいた。ちょっとゴルフの上手なSさんとちょっと下手なTさんが前の組で楽しくプレーしておられた。二人は同じ部門の仕事で、多分机を並べていた時期もあったと思う。ひょっとしたらこの二人は幹事に頼んで同じペアーに組んでもらっているのかも知れない。T氏は碁の先生でゴルフの方は初心者、この二人の動作や会話が何とも云えない素晴らしい雰囲気をかもしだし、褒めたりくさしたりが厭味なく上品で兄弟以上に感じられる。それを見ていたY氏が「仲、いいな〜」と言うので私が「二人はポン友」と答えるとすかさず「ポン友とはどんな語源ですか?」と尋ねられた。戦後まもなく「ヒロポン」がはやったことがあるが、まさかこの薬物中毒の友達という意味でもあるまい。さらにマージャンの「チー、ポン」の友達でもあるまい。そこで調べてみた。

ニッポンを略して「ポン」は、印象も強く理にかなっているがこれを昭和20年代に決定するのはなかなかの英断だ。ポンジュース以外に「ポン○○」が広がらなかったのは、
1.ポンジュースのイメージが強くなってしまった
2.「パ」行始まりには「日本のもの」らしさはないから
(「日本酒」を「ポン酒」と呼ぶのって、ゴロはいいけど、日本らしさや“生粋感”は随分減殺されてると われ思う)両方か。うちのオヤジが親友のことを「ポン友」とよく言っていてその「戦中語感」に、プチへきえきしていた。ヒロポン友達か(大不孝)。この「ポン」はそれこそ、日本のものではない、大陸由来の「朋友(パンヤオ)」--電波少年の伊藤くんとチューヤンのアレ、との説あり。
らしい。早速調べてみますと答えたのでYさんにお伝えします。
ちょっとながなが文になって申し訳ない。
もとへ戻って、この二人と風呂で一緒になった。みなでワイワイやっていたので近寄るとくだんの碁の先生が腕をすりむいて赤くなっていた。風呂の中ではしみて痛かろう。どうしたのかと聞くとOB杭に近い急斜面を走ってまっさかさまに滑って転びすりむいたとのこと。その前後の話がまるでちょっと聞けない上手な人の漫才に似て面白い。「面白いどころじゃ〜ないですよ、大怪我をするとこじゃ〜」と答えるとホントそうだったらしい。一歩間違えるとあの世行きだったらしい。氏が脱衣カゴから着衣を引き出し見せてくれたがもうズタズタ、おそろしや〜。